言葉

悲しい世の中だなぁ。


最近、自粛生活のストレスが溜まっているせいか、SNSでの争いが多い気がする。個人のつぶやきに対して、政治に対して、批判する意見には必ずそれを批判する意見がぶつけられ、口を出した芸能人や有名人にはもっと酷い意見がぶつけられている。『意見』はぶつけていいと思う。もちろん、言い方は考えて。でも、その人の意見にではなく、その人自身を批判したり、つるし上げたりするのは違うよ。あと明らかな悪口。読んでて不快だ。

わたしはSNSだけでなく、実際の生活で人に対して怒ってる人を見るだけで相当なストレスになる。午前中にその光景を見させられただけで、1日引きずるレベルで精神的に苦痛だ。

最近コロナのせいで、職場もピリピリしているせいか、汚い言葉や目に見える苛立ちが漂っていて、それでかなり疲れた。帰宅後にのぞくSNSにも溢れる嫌な言葉。もうこんなんなら、SNS自体消えてなくなってしまえばいいのに、と一瞬考えた。

でも、孤独な気持ち、寂しさをSNSに埋めてもらってる人、助けてもらってる人も少なからずいると思う。顔も見たことない人の一言に救われてる人もたくさんいる。本来SNSってそういう使い方じゃなかったか。

誹謗中傷するだけの人たち、一度「自分が同じ言葉をぶつけられたらどんな気持ちか」冷静に考えてから投稿ボタンを押してほしい。それができないなら、それはもう脳みそが疲れきっているか、なにかの限界なんだと思う。もうSNSはやめた方がいい。

政治に対して、わたしも反対だったらそれは意見としてつぶやくけど、その人個人の仕事じゃない部分に口を出すのはちょっと違う。たとえば容姿とか。

わたしが今こうして書いている気持ちも、自分の気持ちの整理だけでなく、誰かに読んでほしい、読んで「そうだよね~」って共感してほしい、ってどこかで思ってる。


やっぱりSNSが無くなるのはいやだ。

穏やかに、モラルとユーモアのあるネット社会が続いてほしい。


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