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記憶

ネット上に震災の記事が溢れる時期がきた。
毎年この季節は胸がざわざわする。
悲しくなって涙が止まらなくなることが分かっているなら読まなきゃいいのに、読んでしまう。
記事の一つひとつに涙が止まらないし、今も心の辛い人がたくさんいると思うとわたしも心がどんよりする。

北国生まれなので昔から東北には勝手に親近感を抱いており、近いけど遠い親戚というか、同志というか、そんな感じ。甲子園では自分の地元と東北勢を応援する。

関西の大学在学中だった震災のときは、奇しくも旅行中で東京にいたので、都内のビル街で被災した。友達と3人でいたけど、知らない街で帰宅難民の波にのまれ、店は次々に閉まり、居場所もなく、電波もなく、歩くしかなく、新宿のCoCo壱とカラオケで一晩を明かし、どこの街頭テレビをみても地震と津波の映像で、なんだかこのまま世界が終わってしまうような不穏な空気が流れていたのを今でも鮮明に思い出す。
翌日、とっても運良くわたしは飛行機に乗って元々予定していたように地元に帰ることができた。
帰るとホッとした。街も親もいつも通りで何も変わっていなかった。違う世界に来たみたいだった。でも、「さっきまでいた世界が大変だよ、こんなことしてていいの?」という気持ちにもなった。
友達が泊まっていたホテルは液状化で浸水し、荷物をあとで送ってもらっていた。
しばらくテレビは震災関連とぽぽぽぽーんのCMを繰り返していた。その辺から記憶は曖昧だ。

比べるものじゃないのは分かってるけど、本当に被災地に暮らしていた人たちの気持ちや苦しみに比べたらわたしのこの記憶なんて大したものじゃないし、言うのも憚られる。だからずっと言いにくい。
でも未だに、多分ずっと、自分の中にあるあの日の記憶は消えない。あの頃もぼんやりと思っていたけど、あの日でなにかが変わった。別にそれ以降防災対策を徹底しているとか、東北に支援を続けているとか、そういう目に見える大きな変化は無いんだけど、確実にあの日でわたしの何かが変わった。

昨年、なんとなく今行っときたいなと思ったので、岩手に行った。
思っていた以上に、とても良いところだった。
当初予定していなかった津波資料館や、海沿いにも行った。
山の中や町の至るところにある、津波がきた時の波の高さを表す標識に静かな衝撃を受けたからだ。

あの日以降、10年、いつも比較的元気だったから、もう少し何かできたんじゃないか?とか、今も、何かできるはず、何かしたい、と思うのに、何も出来ていない。それとは逆に、人生のステップを少しずつ上って、幸せになっている。それでいいのか?とふとした時に思ってしまう。
だから昨年行ったのかな。被災地の現状をみて、自分を傷付けたかったのかな。「もっとできることしなよ」って言いたかったのかな。

10年目にして初めて向き合った、わたしの震災体験。
同じような人がいたら少し救われる。

写真は昨年の大船渡湾の景色。
またいつか行こう。忘れないように。

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