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子供の運動会で、写真やビデオを撮るよりも大切なこと。

もよ

もうすぐ息子の幼稚園の運動会だ。

運動会の案内のプリントに
素敵な言葉をみつけた。


「お子様の写真を残すことも大切ですが、
周りの雰囲気を楽しみながら
お子様の姿を目に焼きつけることも
大切です。」


この言葉を書いたのは
どの先生なんだろう?

その先生と友達になって
語り合いたいなと思うくらい

普段私が感じていることを
まさかの運動会の案内プリントで
言葉にしてくれていた。




たとえば、花火を見にいったとき、
ずっと花火の動画を撮っている人がいる。

せっかく目の前で花火があがっているのに
なぜか画面越しに花火を見る。

家族や友達に
見せてあげたいのかもしれないけれど

動画で花火をみても
きっと心の底から感動はできないから

今は自分の目に
花火を焼きつけた方がいいよ

なんて、心の中でつぶやいてみる。





たとえば公園などで、
子供の写真や動画を
ずっと撮っているお母さんがいたりする。

写真や動画をたくさん残すよりも
子供はきっと今この瞬間、
お母さんと遊べることの方がうれしい。

そしてお母さん自身も
写真や動画の平らな世界じゃなくて

自分の目で、3Dで、
今この状態のわが子を見ることができるのは

今だけなのに。


なんて、心の中でつぶやいてみる。






たとえば、結婚式などで
誰かが歌ったり踊ったり演奏したりして
新郎新婦をお祝いしている時。

その様子を
ずっと写真や動画を撮っている人がいる。

写真や動画をとるよりも

手拍子をして参加して
自分もその人たちの余興と共に
新郎新婦へのお祝いの気持ちを送ったり

その場の幸せいっぱいの空気を
胸いっぱいに吸い込みながら
新郎新婦の姿を目に焼きつけたらいいのに。


なんて、心の中でつぶやいてみる。





なんだか「物申す」みたいに
なってしまったけれど


決して物申しているわけではない。


たまたま目に飛び込んできた誰かを通して
何かを感じたときは

自分のあり方を見直す
いい機会だなって思っているだけである。



自分のあり方を決めるのは
自分であって

どんなあり方にも
「良い」「悪い」なんてなくて

そのあり方を
「好き」か「好きじゃない」か
「心地よい」か「心地よくない」か
だけなんだと思う。



その自分の感覚に
うそをつくことは決してできないから

自分の感覚を研ぎ澄ませたり
誰かを見たときに感じることを通して

淡々と「好き」と「心地よい」を
選んでいくことと

選べない状況であったとしても
自分が好きだと感じることや
自分が心地よいと感じることを
ちゃんと知っておくということが


きっと「私らしさ」に
つながる唯一のことなんだと思う。





息子の運動会の案内プリントの言葉が

写真や動画との付き合い方について

改めて自分のあり方を考える
きっかけをくれたのだ。





そんな私も、
インスタグラムに夢中になっていた
時期があった。


行った場所の素敵な景色
おいしくてオシャレなごはん
友達と楽しそうにしている自分
実物より可愛くうつる自分の姿
息子のかわいい姿やおもしろい姿


そんな写真や動画を投稿すると

たくさんの友達や知り合いが
イイネって反応してくれて

コメントをくれたり
コミュニケーションをとれたりする。



そんなスマホの中の楽しい世界に
なんの疑問も感じていなかったけれど



息子が赤ちゃんを卒業して
「寝るのが仕事」みたいな時期を
終えたあたりから


インスタグラムを見るのが
しんどくなってしまった時期があった。



子育てってきっと
子供と向き合えば向き合うほど

キラキラした瞬間と
地道で退屈で苦しい瞬間が

本当にきっちり同じくらい
やってくるものだと私は思っている。



そのキラキラした瞬間だけを切り取った
写真や動画たちがあふれている
インスタグラム。


でもそれは
「素敵な瞬間をみんなでシェアしよう!」
というのがインスタグラムの目的なんだから
当たり前のことだ。


なのに、そのことをついつい
忘れてしまって


自分にだってキラキラした瞬間が
たくさんあるのに

日々じんわりと
子供との生活に幸せを感じているのに

自分にだけ苦しい瞬間が多いような
感覚になってしまうときがあった。



「私だって、こんなに幸せなんだぞ!」
となぜか対抗するような気持ちが
湧いてきて

必死に息子のかわいい写真を撮ろうと
するのだけれど

息子は私の心を敏感に感じとれるから

私が必死になればなるほど
息子のかわいい写真は撮れないものなのだ。




そんなことがあって

少しずつインスタグラムを見なくなって
ついにほとんど開かなくなってしまったとき

写真を残さなければならないプレッシャー
のようなものから開放されて

目の前にひろがる
素敵な景色や、大好きな人の表情や姿を
「全身で見る」という感覚を
得ることができた。


その感覚はまさしく
私が「好き」だと感じるもので
私が「心地よい」と感じるものだった。


全身で見たことは、
強烈に目に焼きつき

その時の
かすかな匂いや
音や
雰囲気や
肌の感覚などもセットで

全身に刻みこまれる。



写真や動画を撮ることに必死なときは

私の世界は
まるでその画面のように
平らになってしまう。


1日を終えたあとに感じる満足感が
ぜんぜんちがうのだ。



だから

写真はほどほどに
今目の前のことを
全身で感じようとする。

それが私の「あり方」になった。



でもやっぱり息子の成長を
残したい気持ちはあるから

月に3枚、
息子のベストショットを選んで

インスタグラムには投稿せずに
無印のアルバムに残していくことにした。




このアルバムをすべて終えるとき
息子は8歳になっている。

このアルバムに息子の8歳までの姿が
ギュッとつまる日がくる。


月に3枚なら
プレッシャーなく写真を撮れるし
思い出も負担なく残していける。

このバランスが
私にとってはちょうどいいなと思っている。






必死に子供の写真を残している友達がいると
私もその雰囲気に流されて
写真を撮らない自分がダメなような気がして
たくさんシャッターを切ってしまいたく
なる日もある。


でも


「お子様の写真を残すことも大切ですが、
周りの雰囲気を楽しみながら
お子様の姿を目に焼きつけることも
大切です。」


この言葉を
プリントに書いた人がいて

私と同じ感覚の人が
少なくとも1人いる。


このプリントのおかげで
私はまた自分のあり方を

しっかり固めることができたような
気がする。




息子、生まれてはじめての運動会は
もうすぐだ。


走る姿や、踊る姿を、

この目に焼きつけよう。

全身で見よう。全身に刻みこもう。



写真はほどほどに。

写真は写真屋さんにまかせて。
ビデオもプロの人が撮ってくれる。




息子が観客席の私を見つけたとき

目が合ったら、すぐに笑顔を返せるように

手を振ってくれたら
すぐに振り返せるように

演技が終わったら
誰よりも大きい拍手を送れるように。



写真をたくさん残すことよりも
もっともっと大切だなって
私が思うことを

今この瞬間
息子にしてあげられますように。



ついつい周りの雰囲気に流されやすい私が
自分の感覚を大切にして楽しめる
そんな運動会になりますように。





そんな想いを込めて
今日も長々と書いてしまいましたが・・・

最後までお読みいただいて
ありがとうございました。

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