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グチグチニコニコ親子で、今日も行こう!

私がこの世で1番キライな服は、スーツだ。

息子の幼稚園の制服を見ていると、あのスーツの固さとか、肌触りとか、良く言えば気が引き締まる、悪く言えばキュッと緊張する、あの感じを思い出す。私がスーツを着ていた時代なんてほんの一瞬で、もうはるか昔のように思えるけれど。

制服は"こどものスーツ"なんだなって思う。

だから制服を異様に嫌がる息子の気持ちを、100%わかってあげられる。


朝、息子は決して自分で制服を着ようとしない。なんとか自分で着させようと、盛り上げてみたり、褒めてみたり、怒っちゃってみたり、いろんな作戦を試みたけれど、時間がかかりすぎる。朝、制服を着るのに30分もかかってしまったらもう無理なので、あきらめることにした。

あんな着心地の悪い服に自ら腕を通すなんて、そりゃイヤだよね。私服は自分でちゃんと着れるんだし、もういいや。どうせもうすぐ幼稚園はおわるんだし。私服になるし。

というわけで、6歳にもなってお恥ずかしながら、上から下まで全部、私が制服を着させている。

嫌がる息子に制服を着させるのはなかなかの重労働で、毎朝負担が大きい。

ある日イライラしている日があって、息子に制服を着させながら、ついに私までもが制服についてグチッてしまった。


「なんなん、このシャツ!ボタン多すぎるやろ。」と私が言う。

「ほんまや!ボタンちぎったろか!」と息子が言う。


「なんなん、この上着!かたっ!黒っ!こめとむぎの毛、めっちゃついてるやん。」と私が言う。

「ほんまや!白でいいやんな!」と息子が言う。


「なんなん、このズボン!肩紐なんてあったら、みんなオシッコしにくいやんなあ!冬やのに半ズボンってさむっ!」と私が言う。

「ほんまや!どうせすぐ幼稚園で着替えるなら、ずっと体操服でいいやんか!」と息子がいう。


「なんなん、この靴下!かたっ!なんで白じゃなきゃあかんねん。汚れ目立ちすぎるやん。」と私がいう。

「ほんまや!もっとやわらかいのでいいやんな!」と息子がいう。


あははははー!

制服を着終わるころには、2人で笑っていた。

うっかりグチってしまっただけなんだけれど、なんだか笑けてしまったことと、そのとき妙に息子が嬉しそうだったことと、そのあと楽しい雰囲気になったこととで、「息子より先に、制服についてグチる」というのは、私の「作戦の1つ」となった。


玄関を出ると、さむい。さむすぎる。
正直外になんて出たくない。

私も息子も、寒いのが苦手だ。

息子に関しては、寒暖差アレルギーらしく、日によっては半ズボンの足に蕁麻疹が出てしまう。


歩かな〜い♪歩かな〜い♪

私は元気じゃない〜♪

歩くの大嫌い〜♪

どんどん行かない〜♪


息子が大声で、「歩こう」の歌の超ネガティブバージョンを歌う。

すれ違ったおじちゃんとバチッと目が合う。クスッと笑っている。


歩かな〜い♪歩かな〜い♪

私は元気じゃない〜♪

歩くの大嫌い〜♪

どんどん行かない〜♪

私もすぐに歌詞を覚えて、いっしょに歌う。
楽しくなってくる。


ゲヘヘと笑いながら、超ネガティブな歌を歌うのっていいな、と思う。

自分のネガティブな気持ちにフタをせず
そのまま口に出す。
でも、その気持ちに負けてはいない。
その気持ちに、飲み込まれてもいない。
だからなんだか空気が軽い。

そんな感じが、逆にポジティブでいい感じ。

心と言葉がつながっているって
やっぱり気持ちがいいものだ。


大人だって子供みたいに、どんな気持ちも声に出してしまえばいいのかもしれない。

出すのをガマンして、お腹の底にズーンっと重たく沈んでいって。熟成されて膨らんで膨らんで、とんでもなく大きくなってしまう前に。

それこそ"腹黒く"なってしまう前に、
こまめにこまめに。




息子が「制服がきらい」と言えば
「わかるよ。母ちゃんも嫌いやったわ。」
って本当のことを言えばいい。

優等生だった私が、「みんな着てるんだから、しょうがないでしょ。ルールなんだから。」なんて言いたそうにしているけれど。


息子が「幼稚園なんて全然楽しくない。大嫌い。」と言えば「わかるよ。母ちゃんは幼稚園のことはそんなに覚えてないけど、小学校は行くの好きじゃなかったな。」って本当のことを言えばいい。

優等生だった私が、「楽しいことだってあるでしょ?どんな場所にも、楽しいことと大変なことの両方があるんだから、楽しいことに目を向けようよ。」なんて言いたそうにしているけれど。


息子が「きらい」と言えば、
それをなんとか「すき」に
してあげたいとジタバタしていた私。

息子が「たのしくない」と言えば、
それをなんとか「たのしい」に
変えてあげたいとジタバタしていた私。

それは、

きらい=悪い
すき=良い

たのしくない=悪い
たのしい=良い

と思っていたからだろうか。

すきにも、きらいにも、たのしいにも、たのしくないにも、ほとんどの場合理由なんてない。ただそう感じる。それだけなのに、どうして変えようとしていたんだろう。



まだ6歳の息子は、ただ心を言葉にする。
心で思ったことが、自然と口に出る。

それをねじ曲げてばかりいたら
それを変換しようとしてばかりいたら

"きらい"と思った自分の心を
ダメだと思ってしまうのかもしれない。

"たのしくない"と思った自分の心を
ダメだと思ってしまうのかもしれない。


私はそうだったような気がする。

みんな楽しそうなのに、私は楽しくない。みんな笑っているのに、私はおもしろいと思えない。みんなは好きだと言ってるけれど、私は好きじゃない。小学校ではそんなことがよくあった。

そんな私はダメなのかも。
楽しいフリをしよう。
好きなフリをしよう。

そんなふうに。

生きやすいように自分の心にフタをした。



「言葉」は、もう少し年齢を重ねれば選べるようになるけれど、

「心」は、どんなに年齢を重ねても、自分では選べない。ただ湧いてくるものだから、決して変えられない。なかったことにはできない。

昔の私みたいに、ごまかしたり、見ないふりをしたりはできるけれど。



息子には、自分から湧いてくるものを
1番大切にしてほしいと思う。

まだストレートに心をぶつけてくれるうちに
どんな気持ちもただキャッチして
「ALL OK」してあげられる私でいたいなと思う。

そして、私自身の心から湧いてくるものも
「ALL OK」してあげられたらいいなと思う。

まだまだ練習が必要だけれど、
少しずつ少しずつ。




前に少し書いたけれど、
息子が幼稚園を嫌がりすぎていたおかげで
予想外の小学校に通うことになった。


"きらい"も"すき"も"たのしい"も"たのしくない"も、これから歩む方向を決める、何よりの「地図」になる。

"心"という決してまちがいのない方位磁石をギュッと手ににぎって、力強く歩いていってくれたらなと思う。

北と南、東と西に、優劣なんてないように

"きらい"も"すき"も"たのしい"も"たのしくない"も、ただ方向を決めるものでしかない。全部大事なんだって思うのだ。



「みんな楽しそうに幼稚園に通っている。うちの子嫌がりすぎじゃない?なんかおかしいんじゃないかな?」と、はじめは思ってしまっていた。

でもそのあとに一瞬だけでも「うちの子がこんなに嫌がるんだから、あの幼稚園は何かおかしいのかもしれない。おかしくはないにしても、うちの子には合っていないのかもしれない。」と、心の片隅で強気に思ってあげることも、母親の役目なんだと思う。

そして、次に選んだ場所は今いる場所よりもきっと、息子にとっての「すき」と「たのしい」が多い場所にちがいない。

そうやって、どんどん「きらい」と「たのしくない」に背を向けて歩いていく。「すき」と「たのしい」に向かって歩いていく。

自分に合った場所で、自分らしく生きていってくれたらいいなと思う。



かと思えば、一般ルートから外れる恐怖が、私の心に湧いてくる。湧いてくるものはやっぱり消せない。仕方がない。

「仕事どうしよう。送り迎えはどうしよう。やっぱりさ、近くの小学校に行かない?楽しいかもよ?」

なんて、息子に弱音を吐く。


「ぜーーーったいあの小学校に行く!母ちゃん、ぼくのためにがんばってよね!」

と、一喝されてしまった。


だよね、がんばるよ・・・と、
泣きマネをしてみる。

顔をあげると、息子が真面目な顔で私をうかがっていた。ちょっぴり演技が上手すぎただろうか。

うそぴょーん!と言って、
息子とアハハと笑っていると

なんだか不安だらけの春からの生活が
妙に楽しみになってくるから不思議だ。


グチグチニコニコと。
メソメソニコニコと。

心の風通しをよくして、軽く軽く。

そんな感じで歩いていこうと思う、
今日このごろだ。

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