息子が「予想外の小学校」に行くことになりそう。そんなママの胸の内。
運動会がおわった。やっとおわった。
息子は年長さんだから、幼稚園最後の運動会だった。リレーと、太鼓パレードと、組み体操という、なかなかハードな演目。イベントをがんばる幼稚園なので、練習もなかなかハードなようだった。
「あと何日で運動会おわる?今日は組み体操の練習ある?なんで背中の上に乗られないとダメなの?ひざに砂がくいこんでめちゃくちゃ痛いのに、なんでガマンしなくちゃいけないの?あんなの全然楽しくない。みんな練習イヤだって言ってるよ。みんながイヤなことなのに、どうして先生たちは僕たちに組み体操なんかさせるの?」
運動場で組み体操の練習がはじまった頃から、毎朝毎朝グチりにグチる息子。
ドンヨリとした表情で毒を吐く息子を、なんとかなだめながら、なんとか説得しながら、最後はもう引きずるようにして、幼稚園に連れていく日々に、もうヘトヘトだった。
「早く運動会なんて終われ〜!」
運動会の1週間前くらいからは、私も息子といっしょに毒を吐いてしまいたい気分。
そもそも私だって、組み体操の練習なんて大嫌いだった。痛いし、砂で全身が汚れるし、背が高かったから乗られてばっかりだったし。
組み体操は、なんでやるんだろう。
なんでやらなければならなかったんだろう。
それこそ、私がだれかに問いたい。
楽しいから?
もちろん組み体操が好きな子もいるけれど、好きじゃない子だっている。先生の話だと、半数以上の子が組み体操の練習を嫌がっているとのこと。
みんなで「1つのこと」に向かって、がんばる力を身につけるため?
それは納得できるけれど、その「1つのこと」は、先生が決めたことだ。
先生の決めたことが、たまたまやりたかったことであればラッキーだけれど、全然やりたくないことだった場合、アンラッキーだ。どちらにしても、幼稚園に通っている限りは、それに参加しないといけない。
「やりたくない」と言えば、「みんながんばってるんだから、がんばろう!」と言われるのだろう。「やりたくない」と言った子は、まるで「がんばれない子」みたいな雰囲気になる。
ただ「やりたくないこと」なだけなのだ。
「やりたくないこと」をがんばれる人なんているのだろうか。そしてその必要はあるのだろうか?
でも、小学校になっても、中学校になっても、高校になっても、私の知るかぎりではそういう場面がたくさんある。というより、毎日教室で過ごす時間は、「これをやりましょう。」の繰り返しのようなものだ。
先生たちが決めたことを、淡々とがんばれる子や、深く考えずに何だかんだ楽しめちゃうような子が、「問題のない子」だったり「優等生」だったりと言われる。
その小さな世界で、問題児扱いされたり、落ちこぼれたりすれば、かなりしんどいし、生きづらいだろう。
だから「やりたくないことを、なんとかがんばる経験」だって必要なのかもしれない。
頭ではそう思うのだけれど、
考えれば考えるほど、モヤモヤした。
そんな中、「箕面こどもの森学園」という小学校の見学に行った。
1年前くらいに本を2冊読んで、その学校のことを知った。
そしてnoteでも記事を書いた。
でもいろいろ頭で考えると、やっぱり近所の子たちと同じ小学生に通った方がいいような気もしたし、学童保育がないから私も働けなくなるかもしれないし、学費も私立と同じくらいかかることもあって、「もし市立の小学校で何かあったときのための選択肢の1つ」として心の中にしまっておこう、という結論にいたっていた。
そして、そんな素敵な小学校に出会ったことさえもすっかり忘れていたのに。
8月の中旬頃、仕事前の15分ほどのスキマ時間に、コンビニのイートインスペースでアイスカフェラテをグビグビと飲んでいたときだった。
「箕面こどもの森学園」
頭の中に、急にその文字があらわれた。
「お告げ」という言葉を使えばすごく怪しいけれど、気になって気になって仕方がなくなって、その場で「箕面こどもの森学園」と検索してホームページを訪れると、「2023年の小学生募集」の記事が目についた。9月末が入学希望の書類の締切で、それまでに1度見学に行くことが必須。まだ間に合う。
まじか・・・こりゃ大変だぞ・・・
それが本音だった。市立の小学校に通ってくれた方が私は「楽」なのだ。送り迎えからも開放されるし、金銭的にも、仕事的にも、人間関係的にも、全部。
でも、これはきっと無視したらダメなやつだ、と思った。
流れに逆らってしまったら、そのときは自分の思い通りになったと思えても、あとからあとから「流れに逆らったヒズミ」のようなものが押し寄せてくることは、自分の人生を通して知っているつもりだ。
そしてその少しあとに、父ちゃんの転職が決まった。なんと給料が大幅にあがるとのこと。
それはもちろん父ちゃんの実力もあると思うけれど、「学費はなんとかなるよ」と言われているような気がしてならなかった。
もうその流れに降参して、とりあえず見学に行ってみることにしたのだ。
「今日は昼から川に行ってる子が多いんです。川に行かないと決めた子たちだけがここに残っているので、今日は人数が少ないんですけど・・・」
校内を案内してくれたスタッフさんのその言葉をきいたとき、「ここがいい。息子はこの小学校に行った方がいい。」はっきりとそう思った。
「川に行くこと」なんて、子供であればみんな「行きたい」と思うのではないか?という自分の“思い込み”に気づく。
今日の気分だってある。
川に行くよりも、
やりたいことがあるかもしれない。
川が好きではない子だっている。
自分が「やりたいこと」を、とことん「自分で選べる」環境であることが、そのスタッフさんの1言にギュッとつまっていた。
川に行かないと決めて校内に残っている子供たちの様子を、息子の未来に重ねてみる。
ちょうど「プロジェクト」という時間で、一人一人が自分で決めたことに取り組む時間だった。
2人でサッカーをしてる子、小説を書いている子、ドミノを並べている子、絵を書いている子、パソコンでなにかを作っている子、アイロンビーズで何かを作っている子・・・
みんなそれぞれいろんなことをしていた。
同じ部屋で、みんながそれぞれ「バラバラのこと」をしている教室。
私の知っている「教室」は、先生が前に立っていて、みんな一律に先生の方に顔を向けて「同じこと」をしている教室。
「みんながバラバラのことをしている教室」の方が、"自然"に見えるのはなぜだろう。"調和"しているように見えるのはなぜだろう。
みんながイキイキしているように見えた。
みんなの目が澄んでいるように見えた。
笑い合ったりおしゃべりする声も聞こえてはくるけれど、小学校の教室にしては妙に落ち着いている感じもした。無理に話す必要はない、無理に明るく振る舞う必要もない、無理に群れる必要もない。みんなが自然体で過ごしているような感じがした。
うん、やっぱりここがいい。
息子はここに行くのがいい。
運動会でモヤモヤとしていた心がスッと晴れていくような気がした。
改めて、2冊の本を読み返していると、「箕面こどもの森学園」の運動会のことが書かれていた。
「運動会をやりたい!」と思った子たちが声を上げて、集会が開かれる。まずは「運動会をするかしないか」を話し合う。
"多数決はしない"というのが、この学校のルールだそう。すべてを「話し合い」で決めていく。時にはゆずったり、ゆずられたり、折り合いをつけたりしながら、自分たちでトコトン納得しながらすすめていく様子が綴られていた。
スタッフさんたちはその間、基本的に子供たちを見守るスタンスだ。相談されたら相談に乗る、行き詰まったら少しサポートする、という感じ。
競技の内容も自分たちで案を出し合って決める。ある年の運動会の競技に「ハンカチ落とし」があったのが印象的だった。
運動会だけじゃなくて、すべての行事やイベントは「自分たちで話し合って決める」というスタンス。修学旅行の行き先もタイムスケジュールも自分たちで話し合って決めるそうだ。その旅行のためのお金も、フリーマーケットをするなど工夫をして「自分たちで稼ぐ」というスタイル。
みんなで話し合って決めて、
みんなが納得していることだからこそ、
みんな積極的に、それに関わろうと思える。
みんなが自然と1つになって、
それぞれの役割を果たそうとする。
がんばれる。
自分と相手を大切にする力
話し合う力
その中で折り合いをつける力
得意なことを活かして
苦手なことを補い合って
みんなで1つのことを作り上げる力
そして、それらの楽しさを味わうこと。
それこそが、これから社会で自分らしく生きていくために必要な力のような気がするし、その力をじわじわと自然に育てていける学校のような気がするな、と感じた。
腹の底から、そんな熱い気持ちが湧き上がってくる。
自分の「モヤモヤした気持ち」を無視せずにゆっくりと見つめてあげれば、そのあとには必ず「自分の本心」や「自分が大切にしたいこと」にハッと気づく瞬間がある。
そのために、"モヤモヤ"は湧いてきてくれるのかもしれない。
あまりにも幼稚園を嫌がる息子と過ごす中で、「もっとのびのびと過ごせる幼稚園に行かせてあげればよかった」と何度も転園を考えた。「近所だから。近所の子たちもそこにいくから。」という理由だけで幼稚園を決めてしまった自分を責めてしまいそうなときもあった。
でも、
その幼稚園に行ったおかげで
息子が幼稚園を嫌がったおかげで
組み体操を嫌がったおかげで
「どうしてそんなに嫌なんだろう?」という"問い"が生まれた。
その問いへの"自分なりの答え"を見つけるために、たくさん調べたり考えたりする中で、2冊の本と出会った。
そしてその本の中の「素敵だ」と思える学校が、たまたま家から通える範囲の場所にあった。
そこに「完璧な流れ」のようなものを感じずにはいられない。
今どんな状況であれ環境であれ、すべての人がきっと「完璧な流れ」の中にいるんだと思うのだ。
「あの経験がなかったら、今の私はいなかった」と言えるような、そのときはしんどくてしんどくて未来が真っ暗に思えても、あとから振り返ると大切な大切な経験の一つ一つ。
流れを作るために、なくてはならない経験たちが、この瞬間瞬間にも私たちのもとに次々と流れてくる。
今息子は、その学校の4日間の体験入学に参加している。
そのあと息子が「行きたい」と言えば、
そして、面接を通過すれば、
その学校に通うことになるだろう。
市立でも私立でもない小さな小さな学校。いわゆる「一般ルート」から外れてしまう不安が湧いてくる。
通学はなかなか遠いけど大丈夫だろうか?もしかしたら引っ越しが必要?
お金はちゃんとヤリクリできるだろうか?
仕事はどうすればいいんだろう?今の仕事を続けられる?
次々と不安が湧いてくる。
でもきっと、どんな選択をしてもどんな環境にいても、種類はちがえど「不安」がなくなることなんてない。
そう自分に言い聞かせて、「息子にとって1番いいと思える選択をする」という覚悟と勇気を奮い立たせる。
でも。
今、私は私の流れの中にちゃんといる。
なぜかその自信だけはあって、きっと全部全部うまくいくんだと思うのだ。大丈夫なんだと思うのだ。
ゆらりゆらりと
サラリサラリと
完璧な流れに乗りながら、
その予想外の流れを楽しむ余裕を持てたらなと思う。
「運動会、たのしかった!」
運動会がおわったあと、息子がそう言った。
「え?そうなん?それはよかった!」
あのイヤイヤぶりは何だったんだろうと、ちょっぴり拍子抜けしながら、私は答える。
「本番だけ、楽しかった!」
と息子が続ける。
「練習なしには本番はむかえられないやん。練習がんばったから、本番が楽しかったんちゃう?」
私がそう言うと、そのあと息子はだまってしまったけれど。
きっとこの幼稚園でも、本当にたくさんのことを感じて、味わって、学んでいるんだと思う。
息子にとって、しんどいこともたくさんあるだろうけれど、楽しいことだってたくさんあるんだと思うのだ。
それはきっとこれからも変わらない。
あの"予想外の小学校"に行ったとしても、
あの"予想通りの小学校"に行ったとしても、しんどいことも楽しいことも同じだけやってくるように、この世はできているのだろう。
そうわかってはいても、
ちょっとでも"より良い"方向へ。
ちょっとでも"息子らしく"いられる場所へ。
ちょっとでも"楽しいこと"のたくさんある方へ。
「息子の幸せ」を願って、頭をグルグルグルグル回転させてしまうのは、それこそ親になったからこそできる「素敵な経験の1つ」なんだと思うのだ。
〜おわり〜
めちゃくちゃ長くなってしまった記事を、最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
自分の気持ちを整理するために書いたのが1番大きいですが、「こんな学校もあるんだよ〜」とたくさんの人に知ってもらいたいという気持ちも大きいので、一生懸命書きすぎて、長くなりました(笑)
その学校に通う通わない関係なく、学校という場所にちょっぴりモヤモヤしているときに、なにかしらのヒントになる本だと思いますので、ぜひ2冊の本も手にとってみてくださいね♪
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最後まで読んでいただいてありがとうございます(^^)
大阪府箕面市で、お家サロンをやっています。noteから来てくださった方は、初回60分2500円で施術させていただいています。お近くの方はぜひ遊びにきてくださいね♪