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自分のクリスマスプレゼントに「ガイコツ」を買った、理由と覚悟。

クリスマスの日、サンタさんからもらった新しいおもちゃで楽しそうに遊ぶ息子の横で、父ちゃんがソワソワしていた。


自分へのクリスマスプレゼントにプレステ5を買ったそうな。それが今日、ゆうパックで届くとのこと。


自分へのクリスマスプレゼントか。


私も自分へのクリスマスプレゼントに何か買おうかな、と思い、アマゾンの「ほしい物リスト」のページを開いてみる。


ページを開くと、私の目に「ガイコツ」が飛び込んできた。


リラクゼーションセラピストの研修がはじまった頃から、骨や筋肉の位置をもっと細かく覚えたくて、ガイコツの模型の購入を考えていた。


6000円くらいの物なので、エイっ!と買ってしまえばいいのに、私はなぜか買えないでいたのだ。





最近、素敵な出会いがあった。

家族でたこ焼きパーティーをしたときのこと、弟と弟の婚約者さんが通っているという整体の話になった。

ほとんど触れるくらいの施術なのに、体の痛みが一瞬で消えるという。



「この間は、頭蓋骨をクックックッって動かされてさ。そしたらシュワシュワシュワシュワ〜って頭の中から泡が湧き出る感じがしてさ。そしたらめっちゃスッキリしててん!」

弟のその一言で、猛烈な興味が湧いてしまった。


最近肩こりと偏頭痛がひどくなっているような気がしていたこともあって、たこ焼きパーティーが終わってすぐにネット予約した。直近は予約がいっぱいで、予約がとれたのは3週間後だったけれど、その日はあっという間にやってきた。


施術はさすがだった。簡単なチェックをしたあと、「それだけ!?」という力加減で、指や腕をクイクイッとさわられる。すると施術後は、肩が軽くなって全身にブワッと血が巡るような感覚があった。

全身はつながっているから、肩こりだからって肩が原因じゃないことが多いということは知っていた。だから肩ばかりもんでも楽にはならなくて、負担のかかっている部分を見つけて、そこを緩めてあげることが大切なんだということも。

頭ではわかっていたことだけど、そのことを自分の体を通して体感できた瞬間だった。でもそういう施術ができるのは、体のことを熟知している人だけなんだとも思った。


でも施術以上に、先生と話すのが楽しかった。


セラピストとして仕事をしていてモヤモヤすることや感じていることを話すと、先生も同じようなことを感じたのち、恩師に出会ってお世話になって、この整体院を開いたそうな。

「僕も悩んでいたときに、恩師と出会って拾ってもらって、今の自分があるんです。今度は僕も誰かの力になりたいと思っているので、ぜひ甘えてもらえたら嬉しいです。」


最後にはそんな言葉をプレゼントしてくれた。


私も"整体"を学んでみたい。
そう思った。


"もむこと"は大好きだ。あの独特な気持ちよさはリラクゼーションサロンの特権で、それはそれですごくニーズがある。それに本当の本当に疲れたときは、だれかにもんでもらって、ただ気持ちよさを味わって、そのときだけでも体と心を緩める時間が大切なときだってある。息子が赤ちゃんのときにヘトヘトだった私を癒やしてくれたのは、リラクゼーションサロンの"気持ちよさ"だった。


「気持ちよかったわ〜!楽になったわ〜!ありがとう!」

そう言ってもらえると嬉しいし、やりがいを感じる。でもその方が2週間後や1ヶ月後にまた来店されたときに、ふと思う。


「どうしていつも同じところにコリやハリができるんだろう。」

「この方が"今だけ"じゃなくて"日常生活の中"でいつも心地よい体でいるためにはどうしたらいいんだろう。」


その答えを導くための知識も経験も、今の私にはないけれど、"整体"を学ぶことでその答えに近づけるのではないか。

そう思った。



その日から心に火がついて、改めて骨や筋肉の勉強をはじめた。

でもその気持ちの熱さとは裏腹に、家事と子育てと仕事でいっぱいいっぱいで、なかなか勉強が進まない。

自分の皮膚の内側に絶対に存在している、無限にあるかのように思える組織たち。あと何年勉強したら、私はこの組織たちを全部覚えることができるんだろう。仕組みを理解することができるんだろう。そして自分の施術に自信が持てるようになるんだろう。


気が遠くなっていく。



そもそも私は「ひよっこセラピスト」なのだ。現場では、先輩セラピストさんやベテランセラピストさんたちがいる中で、「私は彼女たちに比べたら下手っぴだ。なのに同じ料金を払ってもらうのは申し訳ない。」という気持ちが湧いてきて苦しい。

指名もまだまだもらえていない。

さらには職場で1人だけ攻撃的な人がいて、嫌だなと思っている。



新しいことを勉強する前に、まずは目の前のことを満足にできるようになった方がいいんじゃない?

そんな意地悪な心の声が聞こえてくる。




焦らないで。一歩一歩やっていこう。

今自分にできることを精一杯やって、今やるべきことをコツコツやるしかないじゃない。

みんなはじめは「初心者」だったんだから。

どんな仕事でも「下積み」の時期があって、その時期は失敗したり自信をなくしたりしながらも、一つ一つ積み上げていくしかないんだから。


そんなやさしい心の声も聞こえてくる。




ハッ!と我に返って、骨や筋肉の本をもう一度開く。

でもなかなか進まない。


そんなことを繰り返しているとしんどくなってしまって、もう全部投げ捨てたくなる気持ちになってしまっていた、ここ最近だった。







クリスマスの夜、夢を見た。

ヨガのインストラクターをしていたときの夢だった。




60個の目の先に私がいる。
60個の耳に、私の声が届いている。

でも私は、
だれのことも見ることができていない。


レッスン中にそんなモヤモヤやじれったさを感じている私。


同じ時間に同じ空間に集う30人の心と体。一人一人、顔も体も全くちがう。
今まで歩んできた人生も色とりどり。
ヨガをする理由も考え方もそれぞれ。
今日の気分も様々。


その中で、私は"体"と"言葉"を使って、ヨガを伝えようとする。


でも、言葉がうまく出てこない。なんてお粗末な言葉なんだろう。私の伝えたいことはそんなことじゃないのに。もっともっと素敵なことなのに、うまく伝えることができない。


そして、30人分の"存在感"や"圧"みたいなものがグッと自分の方に押しよせてくる。だれに意識を向ければいいのかがわからなくなる。わからなくなって、けっきょく誰のこともちゃんと見ることができない。


けっきょくポーズの誘導をしながら30人の前に立って、一緒にポーズをとるだけのレッスンになる。



苦しいよぅ。しんどいよぅ。こんな毎日イヤだよぅ。


そんなことを感じていると、いつのまにか私はワンルームマンションの1室にいた。


薄暗いオレンジ色の光の中で、お香のニオイがふんわり香っている。ゆったりとした音楽が流れている。

そこにベッドが置いてあって、私は細身の女性の体を丁寧に揉んでいる。

施術が終わり、私は女性と向かい合って座っておしゃべりしている。一緒に温かいお茶を飲んでいる。


「ありがとう。また来月あたりによろしくね。」

彼女はピンク色になったほっぺたを輝かせながらそう言って、くるっと私に背を向けて帰っていった。


彼女が帰ると、私は後片付けをしてパソコンを開く。何やら文章を書いている。noteを書いているのかもしれないし、何かちがうものを書いているのかもしれないし、そこはあまり覚えてないけれど。



そこでハッと目が覚めた。

久しぶりに夢を見た。あまりにもリアルな夢だったので、今自分がどこにいるのかを把握するまでに少し時間がかかった。




憧れている生活が、"夢"に出てきた。


私は大前提として「人間」という生き物に猛烈に興味がある。「おもしろい」と思う。だから人間の体と心を整える"ヨガ"というものに興味を持ったし、ヨガのインストラクターになった。

でも私は、たくさん人のいるところではなぜか異様に疲れてしまって、自分らしくいられなくなる。でも一対一で目の前の人と深く話すことは"楽しい"と思うし、自分らしくいられる。それならば、1人1人の体と心とじっくり向き合えるような仕事につきたいな。

そんな仕事はどんな仕事だろう?といろいろ調べていたら、セラピストという仕事と出会ったのだ。


ヨガのインストラクターを経験したからこそ知ることのできた、進んでいきたい方向。そんな大事なことを、すっかり忘れてしまっていた。現実のやらなければならない膨大なことに萎縮してしまって、その果てしなく思えてしまう道のりに怖気づいて、全部全部"なかったこと"にしようとしていた。


でも、夢のおかげで思い出せた。



1人1人の体と心と、じっくり向き合えるような仕事。


整体やセラピスト以上にそれが叶う仕事は、今の私には思いつかない。


どんなに時間がかかっても、やっていきたい。やっていこう。


そんな覚悟が決まった。






アマゾンの「ほしい物リスト」のページを開くと、ガイコツが現れた。「今すぐ買う」を躊躇なくポチッと押す。すると次の日には、わが家にガイコツが届いた。すごい時代だ。



名前は「骨美さん(ほねみさん)」に決まった。


骨美さん、骨美さん。

どうか私に骨のことを教えてください。骨にくっついている筋肉のことを教えてください。全身にはりめぐらされている血管やリンパや神経のことを教えてください。内臓のことを教えてください。

人間が生きている仕組み全てを、私に教えてください。

学んでも学んでもきっと終わりのない、未知で奥深くておもしろいそれらのことを、根気よく学び続ける"勇気"をください。

一人一人の体と心と向き合う仕事を、私が自信を持ってできるように導いてください。

出会う方たちが、心地の良い体と心で日々楽しめますように。そのお手伝いができる私にしてください。


骨には重すぎるであろうそんな期待を、
骨美さんに託して。




これからもきっと、覚悟がゆらいでしまうことがあるだろう。途方に暮れてしまうときもあるだろう。心がポキッと折れてしまう日もあるだろう。


そんなとき、ふと骨美さんが視界に入って、"骨美さんに込めた想い"を思い出せたらいいなと思う。


それこそ、私の"骨"となる部分だ。






おそらく人間としては死んでしまっている骨美さんが、もし今の私に言葉をくれるとしたら。


焦るほど知りたいことがあるっていいよね。

わからないことがあるって
ワクワクするよね。

できなかったことができるようになる過程が
楽しいんだよね。


骨になったら、もうどれもできないからさ。



そんなような言葉なんだろうなと勝手に想像しながら、骨美さんと記念写真を撮っておく。

そんなふうに、シュールに骨を固めた2021年のクリスマスだったので、ここに記録しておこうと思った次第だ。




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