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#10 日本でお馴染みのツッコミをアメリカでやると殺される

さて、ウィル・スミスさんのビンタ事件です。良いか悪いか。そんな話が中心になってると思うんですけれども、法治国家の観点から言ったら悪いに決まってるわけです。もし、あのビンタをされたコメディアンの方が、被害届を出せば、警察が捜査に乗り出し、ウィル・スミスさんの逮捕だってあり得るわけです。
つまり、暴力という点で見れば、当然悪いに決まっている。なぜ同情論が沸き起こるかっていうと、妻を守ろうとしたという点。でもそれにしても、やはり暴力はいけない。それを上回るものはないんだから。ただ、ニュースを見ていると、欧米と比べて、日本の場合は、そのウィル・スミスさんに対する同情論が多いと言うんですね。

アメリカの場合は、ヨーロッパの場合も含めて、絶対に暴力を許してはいけない。でも日本の場合は、いやいや、妻の目を守ろうとしたんじゃないか、
気持ちはわかる、そういう意味合いの同情なんですね。私も妻がいます。娘がいます。同じようなことをされたら、揶揄されたりしたら、当然腹が立つし守ろうとする。
だから、そこの同情論が全く理解できないというわけではないし、むしろその点は理解できます。結果論でしかありませんが、おそらくあのとき、もしウィル・スミスさんが腹を立てたとするならば、抗議の意味で席を立って会場から出るとか、もしくは自分の受賞スピーチの際に何かしらの抗議をする。そういった点ならば、こんな大問題にはなってなかったと思うんですよね。

ただ、今日は、このテーマを取り上げるに当たって思い出したちょっとしょうもない話があります。

ボケたアメリカ人の頭を叩いたら

4年間、ニューヨークで暮らしていました。日本人同士の友達も当然増えます。するとですね、カラオケに行ったりもするわけです。むしろ、いつも行ってたんじゃないかと思うくらい。会う度にですね、七、八人のグループであって、世代も一緒ですから合うんですよ。歌の時代設定が。しかも懐かしさも手伝って、いわゆる、宴会状態になるんですけれども。

アメリカ人もカラオケを利用します。そこでですね、酔っ払ったアメリカ人が私達の部屋に入ってきたことがあったんですね。日本人だけの私達の部屋にアメリカ人の男性たちが入ってきました。僕たちもお酒飲んでますから多少酔っ払ってます。何でああいうことをしたのかちょっと自分でも覚えてないんですけれども、何かアメリカ人がボケたんですね。日本人のなんならアウェイの空間で何かしらのボケを酔っ払ってしたんです。見ず知らずの人ですよ。でも私達としては別にする排除するとかそういうつもりは全くなく、むしろ一緒に飲もう!くらいのノリだったんですが、いわゆる彼がボケたことで、僕が頭をはたいたんですよね。何言うとんねんみたいな形で、しかも、履いてた靴でポカってやったわけです。
ノリとしてはですね、いわゆるバライティーの感覚だったんですけれども。
そのときのですね、そのアメリカ人の男性の顔がいまだに忘れられないんですよ。ものすごく悲しい寂しい顔をしたんですね。「なんでそんなことするんだみたいな」なんていって、そのまま部屋を去っていきました。
このノリにこのツッコミは違ったのか、とそのとき思ったんですけれども。

でもこれは、いわゆる日本のテレビ局で放送されてきたバラエティーなどに起因するものなんじゃないかと思ったわけです。

ハリセンで叩く。

もう今では見ることがなくなりましたけれども、私達が子供世代のときはビンタですとか、ハリセンで叩いてました。いわゆるボケに対するツッコミが今の時代で言うところの暴力というような形でツッコミが行われていた時代です。それを私達は面白いと思って笑って見てたわけです。一方で、アメリカの場合は、バラエティ番組みて驚きました。コメディショーが主流なんですよね。
ひたすらずっとトークしてる喋ってる。英語力がないと、まったくもって面白くないし、かつ、意味がわかったところで笑えなかったことも多々あったんですけれども。なので、お笑いに対する背景や文化、そういったものが全然違うんだな、というものを感じたのでした。

お笑いに対する文化的な背景の違い

ウィル・スミスさんのビンタ事件とどう結びつくのか。僕の中で理解したのは、そもそもの文化的な背景が全く違う。だから欧米では、暴力絶対反対、ウィル・スミスさん、何やってるんだと非難の声が上がるわけです。気持ちはわかるけれどもそれは駄目だよ。あまりにも大人げない、そして暴力は絶対駄目だ。
日本の場合は、少しそういったものに対する慣れであったり、どちらかというと、許容してしまう文化に近いのかなと思うんです。ちょっと極論ですけれども、そんな気がしました。

なので、欧米と比べたときにですね、リアクションが異なるのはそれはある意味、文化という意味でも、仕方ないのかなあという気もして、ニュースを見ていました。僕自身、じゃ、あれを許すかといったら、それはもちろん反対です。

冒頭でもお伝えした通り、抗議の意味を込めて席を立つ。そうした対応ならば、逆に世間はきちんと、ウィル・スミスさんの声を聞いて、あげることができたのかななんてことを思ったりもしました。

ちなみにそのカラオケでの出来事の話を後日、アメリカ人のスタッフ、仕事仲間にしたら「それは本当に危険だよ」と。「相手がもし銃を持っていたら撃たれてもおかしくない」といわれました。カラオケで命を落とすところだったのか!なんて思ったわけですけど。なので、何か、風俗、そういったものが、全く異なるわわけです。近しいと思っていても、全然違うことが実はあったりする。

そんなことを、ウィル・スミスさんのビンタ事件に関し、欧米と日本で反応が少し異なる点があるというニュースを見て思ったのでした。

(voicy 2022年3月31日配信)

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