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ウユニ(ボリビアとペルーの自転車旅)

太古の昔、降り止むことのない雨は大地の塩分を海へと洗い流しました。ところが、高いアンデスの山脈に囲まれたウユニの盆地には海へと流れ出る川がなく、山脈から流れ出る塩分がそこに溜まっていき、いつしか地平線まで続く、純白の塩の大地が出現しました。乾季、ウユニの塩原に穴をあけると、たちまち水が滲み出して穴を浸し、塩の結晶を生成し始めます。そして数日経つと穴は修復され、また元通りの乾いた平らな塩の大地になります。月面のような乾いた大地が、その本質において、また湖でもある事を思い知らされます。雨季、雨が降ると水が塩原を覆います。この時、白の大地は空を映す巨大な鏡となります。地平線が消え、空と大地が一つになる様は、世界中の旅人をしてウユニ塩原こそが世界一の絶景だと言わしめます。特にそれが星空を映し出す時には。 

NHKのウユニ塩原を紹介した番組の中で、そこで暮らす人々の祭りの様子なども少し紹介されていました。雨乞いの祭りです。祭りの翌日、本当にウユニに雨が降りました。伝統的な民族楽器を演奏した男性は言います。「見ろ、おれが楽器を鳴らしたから雨が降ったんだ」

近代に対する闘争の最後の灯火がここにある、と私は思いました。そしてほとんど直感に促される形で、約一ヶ月間、ボリビアとペルーを自転車でまわる旅に出掛けました。 上の写真は、ウユニの中心で撮った写真です。

私がこれから時間をかけて取り組んでみたいと考えていることは、端的に言えば自由(freedom)という概念の再発見です。社会にとって、人間にとって最も大切なものとは、究極的には自由であると私は考えています。これには異論も多いかと思います。愛とか平和とか正義とか、人生にはもっと大切な問題があるではないか、と。しかしよくよく考えてみるとそれらも結局は自由の問題と切り離せません。現代社会が抱えている様々な課題は、人間の自由を問わずしては解けない問題ばかりです。しかし、自由という概念に関する言説は未だ発展途上にあります。自由が生きた概念である以上、また、言語によって説明できる領域をはるかに越えたところに存在する概念である以上、その探求には終わりがないだろうと思っています。ただ、その深い探求を可能にする人間の資質の一つは、"越境する精神"だろう、という見通しは得ることが出来たように思います(これは社会学者の見田宗介が『社会学入門−人間と社会の未来』という本の中で詳しく書いています)。

ボリビアとペルーの旅は、そのことの再確認という意味もありました。 確かな一つの存在の地平において、大地であり海であり空でもあるようなウユニ塩原のあり方は、楽器を演奏したから雨が降った、という論理を排除しません。一つの文化様式を絶対化することなく、複数の文化様式を悠々と渡り歩いて地球に根を下ろしていく、"越境する精神"に私は賭けてみたいと思います。

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