硬い右足小指

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パイルーム

パン屋の仕事の中に、パイ生地を折り込む作業をするパイルームというポジションの仕事がある。 室温10度の部屋で足元のペダルを踏んでは、右に左にレバーを切り変える事で、クロワッサンのようなバターとパン生地を層状にする作業をする。基本ベッド一個ぐらいの部屋に1人でもくもくと仕事をする孤独な環境だ。 異動して半年後ぐらいから、初めてパイルームを任された。とにかく寒いから靴下を二枚、スパッツ、下着も重ね着し、防寒していないと身体がやられる。折り込みパンが多い週末はホントつらかった。朝か

    • そして、大きな店へ

      パンを一通り作れるようになった頃、社員歴一年が経ち会社から異動を告げられる。 今思えば、未熟だった自分を成長させてもらえるきっかけだった。 市内から郊外のパン屋で、お店の規模も大きく、パン生産社員だけで自分入れて4人、パートも15人程の店だった。前のお店の一人で仕込みから焼きまでやっていた仕事とは、まるで違う仕事だった。 同じパン屋でも、これほど違うのかと驚いたし、全てがシステマチック、大量のパンを効率よく作るお店で、スタッフのレベルも高く、チームワークも良かった。慣れ合いの

      • ピーナッツパン

        新商品の開発は、特に本社の商品開発部があるわけでもなく、弊社は個人の発想で商品化ができるパン屋であった。決められた規格や基準を満たしていれば、ある程度自由度が高く商品化が可能。それは、今でも変わらず、社員パートに限らず誰にも自分で考えたパンが出せる。 初めて自分で考えたパンは、ピーナッツペーストとピーナッツをセミハードな生地に練りこみ、ピーナッツの形に見せたピーナッツパン。店長と相談しながら自分なり作った。 そしてチーフ会に持参して参加。品評の時間になり、自分のパンをチーフ

        • 社員の仕事

          社員でやる決意をしてからは早かった。当時、中途採用の試験もなく、簡単な作文の提出と面談で採用は決まった。 同時に居酒屋のアルバイトはすぐ辞めた。楽しい仕事だったし、仲間にも恵まれた環境だった。でも、ここに未練はなかった。 パン屋の社員採用後、今の職場からの異動し、新たな職場の仕事となりM店の人生が始まった。M店は小さくスタッフも前の店の半分くらい、店長のいつそのさんは、定年間際のお爺さん、売場には出ない厨房専属の店長で、いろいろな事を教えてもらった。小さい店だから、社員は

          挫折からの学び

          小学校からサッカーが好きで、中学でサッカー部に入った。中学レベルの練習の厳しさ、顧問の先生は怖い、さらに部活では、文武両道を重んじ、国語が苦手な自分に対し運動以外に毎日新聞のコラムを読んで感想文を提出をさせられた。今考えれば、理にかなってる事もあったが、とにかく、この生活を続けるのは辛い事しかなく、部活を三カ月で辞めた。たぶん、人生初の大きな挫折だった。 高校は男子校に入り、何を思ったか柔道部に入った。やった事のないスポーツをはじめたい、という気持ちだけで入部した。 中学で

          挫折からの学び

          社員

          パン屋と居酒屋の掛け持ちアルバイトのプータロー、休みは大学時代の友達と遊んだり、趣味のバス釣りしたり、生活に不満はなく充実した忙しい日々を過ごしていた。 ある日、パン屋の仕事中、おだまチーフに何気なく言われた、、 社員で働く? 思わず、えっ?と言ってしまい。 その場で、はい、やります、とは言えず、 まあ、その気持ちがないわけではないです。 ぐらいの答えをしたと思う。 正直、まったく予想もしてなかったし、自分がパン屋の社員で働くとは考えてもなかった。 社員になったら、こんな

          衝撃走った!明太子フランス!

          どこのパン屋が好きという会話をよくしていた。だから自分もたまに休みの日に一人でパン屋めぐりに行っていた。 当時、衝撃だったのは〇〇ベックというパン屋。今では普通だが、パン屋なのにレストラン。パンに合う肉系シチューや魚介系のスープ、サラダなど提供する個人店のベーカリーレストラン。名物はパン窯で作る自家製のお肉を煮込んだシチューだった。時間帯によっては、混雑して入れないし、シチューも売り切れる。 こういう世界観を出すパン屋が当時はなく、入っただけでテンションが上がる。パンもバリエ

          衝撃走った!明太子フランス!

          パンの成形

          掛け持ちアルバイトして1日10時間以上働けばばある程度の収入はあるが、仕事の責任感はない、だから特にストレスはなく気楽に仕事はしていた、だが将来に対しての不安はあった。 パン屋には製パンチーフという、厨房のリーダーの立場の人がいる。僕が一年ぐらいアルバイトしてから異動してきたおだまチーフは、パン職人の厳しさ、頑張者気質という感じでなく、話しやすく、知識や技術に長けていた。ただ、ものすごくボソボソ話す人で、何を言ってるのかわからなく、空返事で会話を成立させてた事がよくあった。

          パン職人

          パンを作る人を、別名パン職人と言う。寿司職人のイメージと同じ、頑固で、えらそう、ただ物作りの意識が高く技術がすごい。 パン日本代表の〇〇さんは、ワールドカップの日本代表のバゲット部門で優勝した人て、背も高く、見た瞬間のオーラからすごかった。とにかく出すパンが、綺麗だった。 ワールドカップのパンを再現したトウモロコシをつかさどったコーンパンは、トウモロコシの皮をむきかけた状態を表現した見た目で、パンから躍動感を感じた。こんなパンが作れるのかと感動したのを今でも覚えている。 これ

          パンのワールドカップ?

          パン屋で働くある日 ワールドカップのイベントあるから、今日、日本代表の〇〇さんがくるからね、と伊藤さんに聞かされた。 女性社員の伊藤さんは、自分より5歳ぐらい上、機嫌の並が激しい人で、下っ端アルバイトの自分には怖いイメージしかなかった。 それより頭の中で、ワールドカップって言えばサッカーだよな、パン屋に日本代表が来る?〇〇さん?きーちゃん?サッカーボールパンでも作るのかと想像した。 聞きなおすと、パンのワールドカップの日本代表の人が来るようだ、、 すべてが???であった。

          パンのワールドカップ?

          居酒屋アルバイト

          居酒屋厨房の仕事は面白い。 焼き場、揚げ場、サラダ場、刺し身場などのポジションがあり、オーダーが入ると各ポジションに料理名と座席番号が書いてある紙が出てきて、注文順にどんどん作っていく、〝だし巻き玉子〝とオーダーが入れば、サラダ場の冷蔵庫から事前に仕込んである卵焼きをレンジでチンし、皿に乗せて、大根おろし、茎生姜を盛りつけ、座席番号の紙を付けてだす。〝つくね〝とはいれば、焼き場で炭火を常にコントロールしながら、焼き具合に気をつけタレをツケてだす。〝唐揚げ〝は揚げ場で、事前に漬

          居酒屋アルバイト

          24歳プータロー

          朝6時から夕方までパン屋で働き、夜は居酒屋をはしごするようにアルバイトにあけくれた。 パン屋の仕事は、楽しいという感覚はなく、ただ周りに迷惑をかけないよう、場の空気を読むように仕事をしていた。 逆に夜の居酒屋は、学生アルバイトが多く、サークル活動のノリ、毎日楽しく、年齢だけで先輩扱いされた自分は仲間にも恵まれ働いていた。料理長のミャンマー人アウンさんには、すごく良くしてもらった。 当時、定職についていない人は、プータローと言われていた。 別に夢はなかった。実家の居酒屋を継ぐ

          24歳プータロー

          パン屋の仕事

          パン屋の仕事は朝が早い、6時には出勤。 パン厨房は狭いがパン窯は大きく、作業場も熱気がこもって、とても暑い。 独特なパン生地の匂いと、焼き上がりのパンの香りが充満する。 はじめて任された仕事は、とにかくパンを焼く事だった。仕事を教えてくれた先輩はパートの近藤さん。とても真面目な人だった。 窯の温度やタイマー設定方法、焼く前のパンの仕上げ方を教わり、何十種類、何百個のパンを焼いた。ただ、これが簡単じゃない、 だから失敗すればパンを焦がす。 一回焦がしたと思えば、窯には30個から

          パン屋の仕事

          きっかけ

          パン屋の仕事をはじめて、何年も経つが 何をきっかけにパン屋になったのだろうか、、 大学時代、世間に流されるようにあたり前のように就職活動し、某食品会社に入り、1年半で挫折し会社を辞めた。自分がやりたい事も分からず、プータローになり、何もやりたい事がない自分は、実家が居酒屋を理由に、居酒屋でアルバイトして自分のやりたい事を探した。いや、探してるというより、当時は、ただ何かをしなきゃという気持ちだけだった。 居酒屋のアルバイトは、夜だけで、日中暇だったのを理由に、たまたま見たア