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Marcel

2017年2月10日金曜日

フランスにいるマセルから電子メールが届いた。
私達が最後に会ってから、半年後のことだった。
その間、一度も接触していなかったが、先週になって突然メキシカンガールのバレリアからマセルの連絡先を教えてとほしいと知らせがきたので、どうしているのかちょうど気になっていたところだった。

マセルはジプシーハウスの元同居人で、ヨーロッパを始め、アジアや南米など様々な場所を訪れ、長い旅を続けていた。
前に彼から聞いていた計画では、私達と別れた後、タイからフランスへ陸路で帰えるとのことだった。4年ぶりとなる今回の帰郷の予定を家族には内緒にして驚かせるんだと言っていた。
電子メールによれば、どうやらパキスタンとアフガニスタンには寄らず、ギリシャからフランスへ渡り、無事に家族とクリスマスを過ごしたようだった。そして、また旅へ出たい衝動に駆られ、今はそのことで頭がいっぱい、といったところ。

マセルは髭面で痩せていて、天然のカーリーヘアに小動物のような丸い目をしている。
真面目で芯がしっかりしていて周りに流されることは然う然うなさそうだけれども、決して堅物という訳ではなく、自分の考えを人に押し付けたりなどはしない。どこか教養と品があり、朗らかで器の大きな男だった。私はマセルの作るクレープが大好きで、彼に作り方を教わり、ノートにびっしり書かれたそのレシピを今も大切にしている。
今の時代はソーシャルネットワークや、チャットで簡単に連絡が取れるけれど、彼はそれを拒み、いつも目の前にいる相手や自分の時間を大切にしていた。
そういうところに私は共感を覚えていた。

マセルがジプシーハウスを去る時、最後に台所の隅で猫のピタ・ホキートを抱き上げて、離れがたそうに愛撫していた姿を思い出す。私と同居人達は大きなカウチに腰掛け、その姿を黙って見守っていた。旅に慣れているはずのマセルの目には涙が浮かんでいた。4年間のうちでこんな気持ちになったのは二度目だという。それだけここでの暮らしがどんなに素晴らしく特別だったかということを私達に語ってくれた。

私達は旅人だ。いくら世界が近くなったとはいえ、再会することの難しさを知っている。
別れの常套文句は「世界中のどこかでまた会おう」だ。
漠然としたこの言葉を他人が聞けば社交辞令のように聞こえるかもしれないけれど、私達は割と本気で口にしている。
それを実現するためには、お金、時間、体力、環境、色んなものが揃わなければならないと知りながら、何一つ確約できるものがなくても、そう約束せずにはいられないのだ。
いつかまたどこかで道が交わる、そのときが来ることを信じてやまない。
必ずまた会いたいという強い想い、そういった念が重要になってくるのではないだろうか。

マセルからの電子メールには続きがある。
旅の道中、カンボジアのインド大使館で、インドへ渡るためのビザの手続きをしていた時のこと。隣で全く同じ手続きをしている一人のイスラエル人の青年に出会ったそうだ。偶然にもその青年はマセルがしていたネックレスと同じものを身につけていて、二人はひどく驚いたらしい。そう、それは私が島で貝殻を拾い、紐を編んで作ったネックレスだったからだ。

私はふと思った。旅の道中で一体いくつそのネックレスを作り、御守り代わりに友人達へ手渡してきただろうか、と。そして、各々が世界中に散らばって旅をしている場所のことや、新しい生活、島を懐かしく思っているだろう心情、抱えきれない孤独の先にあるもの、そんなことを考えていた。
それにしても、なんて素敵なんだろう。世界中のどこかで、そうやってまた一つ、巡り逢いの物語が紡がれてゆくなんて。そして何よりも彼らが未だに私のネックレスを肌身につけてくれていたことに感動した。

丸い目をさらに丸く見開いて興奮しているマセルが浮かぶような、そんな長い電子メールだった。
忙しい毎日に追われ、目の前の生活のことで手がいっぱいになりがちな中、私のことを思い出して時間を割き、わざわざ連絡をくれたことが嬉しかった。
ましてや今どき流行らない一手間かかる電子メール。その重さを私は知っている。
インターネットで簡単に繋がれる現代社会。でももしいつかそれを失ってしまった時、それでも私達はまたどこかで再会できるだろうか。
住所不定、職業旅人。どれだけ絡まっても良い、どうかこの糸が切れませんように。
電子通信の光が目に見えないのと同じように、私達はもはや回線を通さずに光を交信し合う訓練をする段階に入っているのかもしれない。
星の巡りが重なり合うその時に向けて、再会の時の、その胸の高鳴りを私達は知っているから。


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*マセルが去った後、彼が部屋に残していた一輪の花。

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