[ホラー]我が輩は「カモ」である
うっかり玄関の扉を開けているとセールスマンが入ってきた。昭和の押し売りのように玄関先に上がり込み、アタッシュケースを開いて何やら取り出す。パステルカラーのやさしいパンフレット、病院にでも置いてありそうなものだった。が、丸ゴシックで書かれた見出しが普通ではなかった。
<生きづらい方に朗報!
ありまままの自分で生きられる、そんな居場所が出来ました!
○○精神病院 新規入院患者様募集!>
(病院が入院患者の勧誘? まさか……)
思わず二度見したが間違いなかった。実際、その下には、
<心の病気なら、もう悩む必要はありません。新しくできた国の制度により、十分な保護を受けられるようになりました。さあ、あなたもすぐに診断を! 検査費無料!>
そう書かれていた。
(医療関係の広告には厳しい制限があったはずだが、法律が変わったのだろうか?)
そう云えば、先のパンデミックでは検査や注射のキャンペーンが尋常ではなかった。広告費に換算すれば、天文学的な数字だ。それだけじゃない。検査や注射を受ければポイントや商品券がもらえるという、いわば販促まで行われたと聞く。どうやら、時代が変わったらしい。
「いかがでしょう?」
「あいにく目が悪くて小さな文字は読めないんです」
オレは、わざとボケてみせた。細かい文字が読めないのは事実だったが、セールスに説明させたかったのだ。パンフレットの文言は何重にもチェックされているが、喋るとつい本音が出てくる。
「精神疾患と診断されますと、当方の病院に入院していただけます。業界最高水準のハイグレードな病棟です。
費用はすべて保険で賄われますので、自己負担はゼロ。
もう、望まない仕事や人間関係で神経をすり減らす必要はありません。
高速ネット回線完備で、メタバースもゲームもお好きなだけ……」
セールスは、良いことばかり並べた。実際の精神病院には、外出がほぼ出来ないとか、精神薬を飲まねばならないとか、健康人には耐えがたい制約があるはずだが、おくびにも出さなかった。
ただ、その実態がかなりショボイものであろうと、世の中には、わざわざ軽犯罪を犯してまで刑務所に入る人がいると聞く。また自死する人はもっと多い。そのことを思えば、あながちひどい商売だとも云えない。とにもかくにも居場所を提供するのだから。しかも、タダでだ。
もっとも、入院できるのは精神疾患者だけだ。片端から戸別訪問するというのは、いかにも効率が悪い。そこを尋ねてみた。
「まさか本人が希望すれば、誰だって病気にしてもらえるわけじゃないんでしょ?」
「ははは。ご冗談を」
セールスは軽く笑ってから、わざとらしく眉間にしわを寄せて、こう説明した。
「えー、この新しい制度は、実は新しい検査ありきの制度なんです」
「新しい検査?」
「はい。五分間程度の映像を見ていただいて、その間の脳の働きをモニターするのですが、96%以上の確率で精神疾患の有無を判定できます」
「健康な人でも?」
「はい。将来、どの程度の状態になるかまで予測出来ます」
なるほど、そういうことだったのかと合点がいった。どうやらパンデミックで使ったあれをやるらしい。症状がなくとも検査で病気と判定する。中身はブラックボックス。感度は自在に変更可能というやつだ。
今度は「精神疾患ゼロ政策」でも始めるつもりか…… などと、いかにも世をスネたことを考えてしまったが、同時に打算的なことも頭に過った。
(介護施設と思えば、悪い話ではないかも……)
我ながら実に恥ずかしい思いつきだったが、スカンピンの独り者にとって老後はかなり切実な問題だ。
「あのぉ、このプランは六十歳までという年齢制限がございましてぇ、と云いますのもぉ、それ以上になるとぉ、介護が発生する確率が高くなりますのでぇ……」
契約するなら、今しかないと釘を刺されてしまった。心中を見透かされた。オレくらいの年齢の者が考えることなど、皆、同じなのかもしれない。
「じゃあ、おたくに入院してから、要介護になればどうなるんです? 追い出されるんですか?」
オレはムッとして嫌味を云ってやったが、セールスは少しもひるまなかった。
「重度の精神病患者を病院から外に出す…… そんなことを世間が認めると思いますか? またそんな患者を高齢者施設が受け入れてくれると思いますか?
大きな声では云えませんが、要介護になる前に入院しておけば、精神病院でも介護が受けられる、そんな特例が出来たんです。もちろん、自己負担ゼロ!」
なんと、今から入院しておけば介護がタダになるという。
「で、でも、よほど重症でないとダメなんでしょ?」
「ご安心ください。
私どものほうで、責任をもってサポートさせていただきます」
「サポート?」
「確実に、重症化させてご覧に入れます!」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?