皆に猛反対されても零細企業に転職した理由
以前、一般社団法人 情報処理学会 情処ラジオで少しお話しさせて頂きましたが、私は国立北九州工業高等専門学校を卒業後に日産自動車株式会社の子会社に入社。そのまま日産自動車株式会社で派遣として働きましたエンジニアとしては設計をやらせて貰い非常に充実していたのですが、皆に猛反対される中、退職しました。
なぜ退職したのか?今後、就職する方、転職を検討されている方の参考になれば幸いです。決して日産自動車株式会社が嫌になった訳ではありませんし、あの日々があったからこそ今があると思っています。
当時お世話になった、上司や先輩方・支えてくれた仲間には本当に今でも感謝しております。
⚫︎絶望を感じた日
当時の上司はメチャクチャ頭の良い方でした。当然と言えば当然で一流大学を卒業し、優秀なエンジニアが沢山集まる中でも結果を残し、昇進された選ばれし者です。実際がどうかは分かりませんが私が接していたのはその上司だけだったのでレベルの差があり過ぎて、その上司だけ神の領域にいる感覚でした。
特許も沢山出願し、頭の回転が早く、語学も堪能むで、、、天と地がひっくり返っても届くことの無い存在だと思いました。一方で一生掛かっても追いつけないと思ってしまいました。
社会人になればこの様な人と対等に戦えるスキルを持って無いとエンジニアとして将来生きて行けないのでは無いか?と根拠な無い漠然とした不安感に襲われたのです。
⚫︎もがき苦しむ日々
もちろん上をみればきりが無い訳で、学生時代もクラス10番前後で決して頭が良い訳でも無い自分がどうしたら良いのか?と色々考えました。最初の数年はせっかくそんな素晴らしい上司の元で働けるならとがむしゃらに働きました。結果その上司から3年目に名前をあげて表彰して貰えました。メチャクチャ嬉しかったです。
それでも全く差が縮まった感じは受けませんでしたし、むしろ差が広がった感じすらしました。頭の良くない自分がどうやったらこの様な頭の良い人と対等に戦って行けるのか?必死に考えました。
大手企業の教育は元々頭の良い方が多いので、個性を伸ばすと言うより、英語ができて、マネージメント能力が高く、そして当然のことのようにエンジニアの能力が高く、結果を出せる人。スーパーマンを育てる教育だと思います。
私はそこにはついて行けませんでした。どうしたら良いのか?と答えを見いだせず、ずっと悩んでいました。ちょうどこの頃、何かのヒントになればと、色々な成功者の本を沢山読みました。特に京セラ株式会社創業者の稲盛和夫さんの本を読み憧れを持ったのです。
⚫︎転職活動をしてみる
「良いところが有れば」くらいの感覚で転職サイトに登録し転職活動をしていました。エンジニア以外にも選択肢を広げ色々と話を聞いて見ようと思ったのです。ただ転職活動をする中で愕然としました。
上司のお陰で自分自身の評価はそれなりに高いと思っていた自分ですが、日産自動車の看板が外れた時点で、外から見ている人は評価しようが無い。自動車関連からはオファーして貰えましたが、自動車業界での評価も自分が思ったほど高くありませんでした。
今の評価はあくまで日産自動車内の評価であり、外部からは分からないという当然のことをその時に初めて理解し、愕然としたのです。結果、自分のキャリアは自分自身で作るしか無いと言う事に、転職活動を始めてようやく気付けたのです。
⚫︎キャリアを作る
外部からみても明らかな評価を得るためにどうしたら良いのか?とモヤモヤしながら過ごす日々でしたが、エンジニア以外の転職活動をする中で結局自分にはものづくりしか無いと思うようになりました。何故ならそれが好きだから。
そして、ものづくりの世界で世間から評価される為には、自信を持って自分で作ったと言える商品を作り、世に残る製品にすることでは無いか?と考えるようになりました。そして絶対に勝てないと思っていた上司にもしかしたらの奇跡を起こせる方法を考えつきました。
それは、、、「同じ土俵で勝負しない」と言うことです。上司が経験しないような事をする事で、同じ土俵で評価されない環境をつくれば、私の方をより高く評価する人が出てくるかもしれないと思いました。
そして、私はものづくりで自社製品を製造販売している零細企業に転職し、社長の鞄持ちをしながら、営業から設計、製造、アフターサービス、そして採用など会社運営に関わる部分も勉強させて貰ったのです。
正直今の世の中的に言うとかなりブラックな会社だった気もしますが、私は良い経験をさせて貰い感謝していますし、転職したことに後悔したことはありません。
⚫︎チャンスを得る
前職の株式会社トレッタキャッツでは、企画段階から量産まで責任者として担当させて頂きました。自分自身で将来の姿を思い描きキャリアを作ってきたからこそ、このチャンスに恵まれチャレンジすることができたのだと思います。
また実際に量産まで導くことができ最終的に取締役と言うポジションで、実質No2として事業を引っ張る立ち位置で仕事をさせて頂くことができました。今ではトレッタと言う商品は、「私が生み出した商品だ」と、自信を持って言うことができます。
今その時の上司にエンジニアとして追い付けた気は全くしませんが、私自身は、また違うスキルを持った人間として同じ土俵には乗らずに自身をアピールできるのではないか?と思います。
⚫︎悩んでいる人へ
何が正解とかは無いと思います。私も、たまたま経営というものに興味をもったからこの道を選んだだけです。
ただ1つだけ言えることがあるとしたら、「自分のキャリアは、自分自身にしか作ることができない」ということです。基本的に、自分で思い描いたみ未来や将来が、そのまま待っているものだと思います。親や上司や営業・会社には自分の将来は描けないのです。
一度自分自身のキャリアについて考えてみると良いかもしれません。私も考え初めてから何年もこの結論に至るまで時間が掛かりました。時間が掛かっても考えることが個人的には大切だと思っています。
是非、こちらもご覧になって頂けると幸いです。