そういえば「東京国立博物館」って何があるんだっけ?
身近にありすぎて逆に行かない、というものがある。
「いつでも行ける」と分かっていると、いつまでも行かないような場所。僕にとって、その1つが東京国立博物館だった。
そういえば「東京国立博物館」って何があるんだっけ?
上野公園内の他の美術館より、心理的にも物理的にも心なしか少し距離を感じるような重厚さを感じていた。
公園内には、こんなポスターがあった。
BUMP OF CHICKENもびっくりするような垢抜けたコピーは、ある種の重々しさを、いい意味で崩してくれた。
本館に入ると有名な階段ホールが目に飛び込んできた。あぁ、ドラマで見たことある風景だ。
ゆっくりとした足取りで昇っていると、まるで半沢直樹の登場人物になったような錯覚に陥る。大和田常務が上からやってきて、すれ違いざまに嫌味を言われそうだ。
この博物館の歴史を紐解いてみると、明治5年(1872年)に湯島聖堂で初めて「博覧会」が行われたことが起源とされている。「散切り頭を叩いてみれば、文明開花の音がする」という言葉があるが、当時大いなる熱狂をもって迎えられた博覧会もまたその音の一端を担っていたのかもしれない。
明治を迎えるまで日本は「美術」という概念がなかったらしい。博覧会の十数年前までは鎖国していた日本は、世界を意識して初めて「美術」という言葉をつくりだし、明治政府は新しい「美術」を担う人材を育成するために東京美術学校(現・東京藝術大学)を創設したという。
東京国立博物館のそばに東京藝大があるのも何となく腑に落ちる。
明治初期にできた東京国立博物館の歴史そのものが日本の「美術」の歴史と並走してきたスケールの大きさを持つ。敷地もまた10万㎡以上というスケールの大きさだ。
本館をはじめ、いろんな「館」で展示が行われており、常設展や特別展が行われている。
僕が行った時は「中尊寺金色堂」の特別展をやっていた。
国宝の仏像11体を拝むことができる。岩手から運搬したドライバーはどんな緊張感をもってこれを運んできたのだろうかと察した。
音声ガイドのナビゲーターに有名な声優さんを起用してるあたりも抜かりがない。権威に安住せず文化芸術を振興する博物館スタッフの愛と気合いを感じる。
8KCGで再現された中尊寺金色堂は圧巻だった。新しい映像体験を味わえて感激した。
本阿弥光悦も面白かったが、それ以上に感動したのは本館2階にある「日本美術の流れ」を辿る常設展だった。
その日、社内で新たにデザイン事業立ち上げの打ち合わせがあり、今一度、日本の「美」というものに自分なりに向き合うプロセスを大事にしたかった。
江戸時代まで「美術」という言葉が存在しなかったにも関わらず、それぞれの時代における「美術」があるということが妙に趣深い。外を気にしすぎず、外来のものをうまく取り込みながら独自の美を目指してきた気配がある。
人によって感じ方は違うだろうけれど、「縄文の力強いダイナミズム」と「弥生の柔らかさ・繊細さ」という両極端なものがまず出発点にあるような気がした。
そして古墳時代からは「国づくりの権威としての美術」があり、奈良飛鳥時代の「仏教美術」、平安の「女性貴族の嗜み」、鎌倉の「武家生活の彩り」を経て、江戸の「庶民の日常」にまで広がっていく様を見ていると、ふと1つの大きなものの流れを見た気がした。
美術は個に向かっている。
大きい本流から、分派していく川の流れのように。
そして日本ならではの自然もまた密接に美意識につながっているのだなということを感じた。四季、花鳥風月、静謐さの中の美しさ、厳しさの中の優しさ、そういうものを感じた。
自然の「冷酷な厳しさ」と「豊かな恵み」という、相反する特質を両隣りに感じやすい日本だからこそ育まれる美意識があるのかもしれない。
ヨーロッパの享楽的なベル・エポックが美術の潮流だった時代に、冬の雪積もる中を表情も分からぬような佇まいで黙々と歩く姿を歌川広重は描いていた。
満開に咲き誇るひまわりより、萎れていくひまわりを愛したゴッホが、日本の浮世絵師たちに傾倒した理由が何となく分かった気がした。
博物館を出ると、大きな木が眼前に現れた。
人間のつくりだす美と、自然の織りなす美は日常に密接していることを改めて伝えてくれるような趣きがあった。
翌日、別府に一時帰省し、お気に入りの塚原温泉に身体を浸した。紅葉が美しい森も、今の時期はすっかり枯れているのが見えた。
冬枯れの森を撮ろうと思うことなどなかったが、思わずiPhoneのレンズを森に向けた。
葉を落とし、冬のやわらかな陽射しを浴びながら、じっと静かに春を待っている。
木々たちがまるでみんなで話し合い示し合わせたように。
美しい森だと思った。
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