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ランダム性を見よ

ポール・グレアム(Paul Graham)が執筆したエッセー「See Randomness」の日本語訳になります。

2006年4月、2008年8月再編集

プラトンはソクラテスが「吟味されざる生に、生きる価値なし」と言っていたと言う。ソクラテスが言いたかったことの一部分は、アリクイの適切な役割がアリ塚に鼻を突っ込むことであるのと同じように、人間の適切な役割は考えることである、ということだった。

多くの古代哲学には、新入生が深夜に談話室でする会話のような性質がある。私はこれを侮辱的な意味で言っているのではない。

人間の目的は何? うーん、私たち人間はアリクイのような他の動物とは著しく異なっている。私たちの場合、際立った特徴は推論する能力だ。だから、推論は明らかに私たちがすべきことであり、推論しない人間は人間であることの仕事が下手で、動物にすぎない。

今や私たちは異なる答えを出すだろう。少なくとも、誰かソクラテスの年齢が答えを出すだろう。私たちは自分たちでさえ人生に「目的」を持つと考えている理由を尋ねるだろう。私たちは他のことよりもいくつかのことにうまく適しているかもしれない。自分たちに適していることをするのがより幸せであるかもしれないのだ。でも、なぜ目的を想定するのか?

思想史とは、私たちに関するすべての思い込みを少しずつ捨て去る歴史のことである。いや、地球は宇宙の中心ではないし、太陽系の中心ですらないことに進展する。いや、人間は神が抱くイメージで神によって創造されたのではないことに進展する。人間は、類人猿ではなく微生物に由来する多くの種の中の一つの種にすぎないのだ。「私」という概念でさえ、あなたが詳細にその概念を調べてみると、その端の周りは曖昧であることに進展する。

私たちが物事の中心であるという考えは、捨て去るのが難しい。非常に難しいので、おそらくもっと捨て去る余地がある。リチャード・ドーキンス(Richard Dawkins)は、利己的遺伝子という考えを用いて、ここ数十年でのみその方向にもう一歩踏み出した。いや、私たちは主人公でさえないことに進展する。私たちは自分たちの遺伝子があちこち旅するために組み立てた最新モデルの車両にすぎないのだ。そして、子どもを持つことは自分たちの遺伝子が救命ボートに向かうことである。あの本を読んで、それまでの物の考え方が初めて現れたときにダーウィンの脳が抜け出したに違いないように、自分の脳はそれまでの物の考え方から抜け出した。

(『種の起源』が最初に発表されときにダーウィンの同時代の人たちがしたことを、今体験できる人たちはほとんどいない。なぜなら、今では誰もが、進化論を当たり前だと考えるように、または進化論を異端として見なすように育てられているからである。大人になって初めて自然淘汰というアイデアに出会う人はいない。)

だから、あなたが今まで見過ごされてきたことを発見したい場合、ひとつの見るのに本当にいい場所は、自分たちがすべてだという自然で単純な考え方の中にある私たちの盲点である。そして、あなたがそうするのならば、猛烈な反対に遭遇することも予想しなさい。

逆に言うと、あなたが2つの見解のどちらかを選ぶ必要がある場合、自分を中心としない方を選びなさい。

この原則は大きなアイデアのためだけではない。これは日常生活でも機能する。たとえば、あなたが冷蔵庫に一切れのケーキを保存していて、ある日家に帰って同居人がそのケーキを食べたことに気づいたと仮定する。2つの考えられる見解がある。

a)同居人はあなたを困らせるためにわざとケーキを食べた。
b)同居人はお腹が空いていた。

私はbを選ぶ。「無能で説明できるかもしれないことを悪意のせいにしてはいけない」と言った人を誰も知らないが、これは強力な考えである。この考えのもっと一般的なバージョンは、ギリシャ人に対する私たちの答えである。

目的がないところに目的を見出すな。

または、さらにいいのはポジティブなバージョンで、

ランダム性を見よ。



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