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幸せの定義

とこのめです。

今回は「幸せの定義」についてお話します。

どういう領域で生きれば、
それは幸せと言えるのか?

幸せの本質は?
幸せって何??

というお話です。

どっからどこまでのことを幸せと呼ぶねん。と。

ここまでの話を踏まえてきてくれた
あなたはもうお分かりだと思いますが、
結論から言うと

「自分が幸せだと思うなら幸せ」です。

だって「幸せの本質なんて存在しない」から。

「不幸でも幸せ」と解釈できます。

だって、
バチクソ辛いこと(不幸)があったから
めっちゃ嬉しいことをすごく嬉しい
(幸せ)と感じるなら、不幸も幸せだと言えるからです。

でも僕はあえて

「正真正銘の幸せの定義」

を提唱します。

  • 不快感や違和感がなくて(あっても気にならなくて)

  • 快感や喜びがある

  • 自分の魂が輝く状況にばかり身を置いていると感じられる

    ならば、
    それは僕はいくらなんでも
    幸せだと言えると思うのです。

    「いーや!オレはそうは思わないね!」
    と思うならそれでいいと思います。ご自由に。

    例えば
    「ただ瞑想の中にいて、
    穏やかかつ豊かに広がる精神の中に
    いることこそが幸せだ」
    というのも、一つの幸せの解釈だと思います。

    苦労しまくることこそが幸せなのだ!
    と言う人もいるでしょう。
    それもまた一興だと思います。

    でも、普通に考えて先述したような
    「正真正銘の幸せ」な状態は「幸せ」だと思いませんか?

    嫌なことがなくて、好きなものが在る。
    不満がなく、満足がある。

    僕は少なくとも幸せです。

    ではそれを「幸せ」だと仮定して、
    どうやったらそんな幸せになれるのでしょうか?

    僕は
    「生きる現実が自己一致しているとだけ感じる」
    という状態だと思っています。

    自己一致していない存在は気にならなくて、
    自己一致していることばかり感じる。

    そんな状態です。

    え??急になに?自己一致とかいきなり言われても。

    ですよね。

    自己一致

とはなんでしょうか?

それは

・なんも考えずに自然体で生きている自分が
・理想とするような現実に山ほど恵まれる状態

です。

「自然体」で「理想的」。
その二つが一致しているから、
「自己一致」と呼ぶわけです。

生きてるだけでサイコーに生きれる。
そんな感じです。

「自分がそこにいるその場所」が
「常に居場所」です。

「居場所がない」と感じるのは
不幸の一種だと思いますが、
自己一致しているとそれとは無縁です。

逆を考えるとイメージしやすいと思います。

・めっっちゃ他人の顔色を伺って
・すごいしんどい環境で頑張り続ける

ゾッとしますね笑
そういう状態が
「自己不一致な状態」です。

でも、そういう「領域」で生きてる人の方が
圧倒的多数派なんじゃないですかね?
あなたはどうですか?

また、幸せは「体感覚」だとも言えます。

自己一致したと感じられる
世界(領域)で生きていると、

・焦燥感
・孤独感
・罪悪感
・嫌悪感
・閉塞感

などを特に感じなくなります。

そして、
あれも嬉しい
これにも感謝

と感じるようになるのです。

「幸せとは体感覚だ」

と言われてピンと来ないのであれば
想像してみてください。

例えば、閉塞感。
息が詰まる「感覚」になりませんか?

他には、焦燥感とかどうでしょう?
ジリジリソワソワと落ち着きのない
「感覚」を覚えるかもしれませんね。

体の感覚と連動して
感情を感じるのではないでしょうか?

もしそれらの「不快な感覚」と無縁な生活を送れたら?
かなり「幸せ」な感じがしませんか?

「幸せ」を、
「喜びが存在することだ」
と思っている人は多いと思います。

あんなことが在るから幸せだ。
こんなことが在るから幸せだ。
という具合ですね。

でも実は、
「不快な感覚が存在しない」
ということも同じくらい大事なことなのです。

その上で、
嬉しいことやワクワクすることが
体感を伴って存在すると、
とても幸せですよね?

例えばディズニーランドで
めっちゃうんこしたくなってずっと我慢してたり、

すごい好きな人からの告白の
返事待ちとかしてて気もそぞろだったりしたら。

楽しいことがせっかくあっても、
そこに集中できないですよね?

だから

・不快感が無いこと
・快感があること

はどっちも大事なのです。

想像してみてください。

ふつーにすごい幸せじゃないですか?

不快がなくて快感があるのは。

つまりは、快感しか感じる機会が無いのは。

不快感を無くすアプローチ
快感を生み出すアプローチ

そのどちらも網羅しているのが、それていいです。

「自己一致」を目指すのが目的です。

それは
「世界と一つになる」
「世界と愛し合う」
という言い方もできるかもしれません。

「思うように生きていると思える」
「思うように世界が動いてくれると思える」

そんな「領域」を「展開」することに僕は成功しています。

それを
「正真正銘の幸せになるということ」
だと僕は定義しています。

「自由」です。
「ああ、自由だなぁ」と。

そんな風に感じます。
この領域は。

すごく「幸せ」ですよ。
僕と愛し合ってくれているみんなのおかげで。

あなたもよかったらそういう
「自分に成る」ということを目指してみませんか?

「自分に成る」=「丸ごと愛せる世界に棲む」
ということです。

選び切った存在
信頼できる存在

そんな存在しかない「領域」です。

うん。いくらなんでもそれは
「幸せ」と呼ぶしかないんじゃないかなぁ。

僕はそう思います。


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