見出し画像

#927 衆理想皆是にして皆非であるとは奇怪なる妄説かな

それでは今日も坪内逍遥の「雅俗折衷之助が軍配」を読んでいきたいと思います。

かゝりける處へ、彼の佛國[ブッコク]にありといふ、乾闥婆城阿修羅の荒れたる勢[イキオイ]にて、馳来たる若武者あり、手痛く働きぬと見え、墨汁なす汗は、白糸縅[シロイトオドシ]の紙鎧[カミヨロイ]を浸[ヒタ]し、ちと計り手をも負ひぬと覚しく、朱墨[シュズミ]の紅[アケ]のこゝかしこに見えたるが、走りよりざま御注進ざふ、と呼ばひて、そのまゝはたと膝まづき、頓[トミ]には語[コトバ]も得いださず。

「乾闥婆城[ケンダツバジョウ]」とは、乾闥婆の幻術によって空中に作り出された楼城のことで、「実在しないもの」の譬えです。乾闥婆も阿修羅も仏法を守護する護法善神である天龍八部衆であり、天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽のことで、乾闥婆は音楽神、阿修羅は戦闘神です。

逍遥子きつと見やり、汝は正しく黒丸ならずや、ウンニャ第一陣雅俗折衷之助が郎等、想像太郎元高[ガンコウ]ならずや。先程よりぞ待ち兼ねし、軍の様子は如何にぞ、と床几[ショウギ]を離れて問ひければ、元高は頭をあげ、見分きかねてぞ候ひし、疲れ果てたる泅の達者が、二人互にからみあひ、角[スモ]うたりしもかくやらん、彼の博学なる鷗外将軍 - 人の身にありとある議論を生むべき学識が、彼れの心に群ッたれば、談理家の張本には、いとふさはしき鷗外将軍 - 西の國なる哲学より、夥多の論材驅り集め、軽き冷嘲、重き評論、とり/″\なりけるその行装、先づ眞先に進んだる、猛兵およそ四千餘字、一度にあはする鯨波[トキノコエ]、天地も響けと罵るやう。

「鯨波」と書いて「ときのこえ」と読ませるのは、#908で説明した「鬨の声」と同じ意味で、戦場で士気を上げるために行なう決まった叫び声のことです。

いかに逍遥、汝いはずや、絶対は衆理想を没却すと、さて、其の敵をいかにと問へば、衆理想皆是にして又皆非なるが為、といはずや。いとも奇怪なる妄説かな。常理に依りて考ふるに、是と非とは矛盾の意義にして、其の間に第三位を容れざるものなり。夫[カ]の反対の意義の、着眼點を殊にすれば、皆大皆小とやうに、いひ得らるゝとは同じからず。ましていはんや、その着眼をも轉せずして、皆非皆是といひたるをや。

読んでいて、いちばん頭を抱えたところを、みずから突っ込んでくれましたね!w

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,902件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?