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#807 新体詩建立の大誓願を発起したことは祝賀すべき大慶事!

それでは今日も坪内逍遥の「梅花詩集を読みて」を読んでみたいと思います。

逍遥は、詩人の世界を、「心の世界」と「物の世界」に分けます。「心の世界」は「虚の世界」にして「理想」であり、「理想」を旨とする者は「我を尺度」として「世間をはかる」。彼等を総称して「叙情詩人(リリカルポエト)」とし、天命を解釈する「一世の預言者」とし、「理想家(アイデアリスト)」とします。「叙情詩人」は、作者著大で、「理想」の高大円満であることを望み、一身の哀観を歌い、作者の極致が躍然し、万里の長城のようである。「物の世界」は「実の世界」にして「自然」であり、「自然」を旨とする者は「我を解脱」して「世間をうつす」。彼等を総称して「世相詩人(ドラマチスト)」とし、造化を壺中に縮める「不言の救世主」とし、「造化派(ナチュラリスト)」とします。「世相詩人」は、作者消滅し、「理想」の影を隠し世態の著しさを望み、小世態を描き、作者の影を空しくして、底知らぬ湖のようである。

倩[ツラツ]ら皇国[ミクニ]の節奏文[セッソウブン]を案ずるに上[カミ]は短歌長歌[ミジカウタナガウタ]より下[シモ]は連歌俳諧謡曲浄瑠璃に至るまで(浄瑠璃の或部分を除く外[ホカ]は)おほむね理想詩の門に属し就中[ナカニツキ]和歌と称せられたる限[カギリ]は叙情詩のいと小なるものにて大かたは一身の哀観(神祇釈教恋無常の感)を詠ずるに止[トド]まり未だ曾て現実を解脱せるはあらず。試[ココロ]みに想へ古来億万の歌集の中風情を現実の外[ホカ]に馳せて彼[カ]の形而上の人間を詠じ若[モシ]くは形而上の造化を歌へるものそも果[ハタ]して幾ばく首[シュ]かあるべき。予は元より或る論者の如く其短きに過[スギ]たるをもて和歌の失[ヤマイ]とはせず又其叙情に偏[カタヨ]れるを憾[ウラミ]とはせず只其現実象[ゲンジツショウ]に拘々[コウコウ]として大虚集[ダイキョシュウ]を知らざるものの如きを惜[オシ]むのみ。爰[ココ]に我友[ワガトモ]梅花道人といふ斯道の道士あり。此のたび新体詩建立の大誓願を発起して「梅花詩集」一巻[ヒトマキ]をあらはされき。予承[ウ]けて之を読むに道人の観念する所頗[スコブ]る彼[カ]の佛家[ブッカ]若[モシ]くは蕉門[ショウモン]の詩人に似てをさ/\形而下の物象を解脱し造化を釈せんと試[ココロ]みたるが如き跡あるは先づよろこぶべき道人の特色なりけり。思ふに是懐疑の時津浪[トキツナミ]が自[オノヅカ]ら然らしめし所[トコロ]なるべく未だこれのみをもて道人が舊[キュウ]歌よみより巧かるべき証[アカシ]とはなす可[ベカ]らずと雖も今や混沌たる詩学の地盤上にダンテ、ミルトンを前触[マエブレ]せんとする此勇ましき蹄[ヒヅメ]を聞くことは豈祝賀すべき大慶事にあらずや。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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