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#936 育亀の浮木、優曇華の花

それでは今日も坪内逍遥の「雅俗折衷之助が軍配」を読んでいきたいと思います。

そは彼等の険怪含糊[ケンカイガンコ]なる文章が、万一将軍の目にかゝらば、徹頭徹尾、數義語と新熟語とをもて充満したり、とやうに見倣され了り、到底かのヘルマン、グリムがエマルソンの文に於けるが如き厚意と、佛人テーンがカーライルのピウリタン主義に於けるが如き寛大とにあふことは、育亀の浮木、優曇華[ウドンゲ]の花の春、逍遥の蕪文に見えたる没理想が、斥けられけるよりも尚激しく、假借なく、用舎無く、斥けらるべきや一定なればなり。

「険怪」とは、世のさまと異なる不思議なこと、「含糊」とは、口に糊を含んでいるかのように、言葉がはっきりせず、事を曖昧にしておくこと、です。

『グリム童話集』は、ヤーコプ・ルートヴィヒ・カール・グリム(1785-1863)とヴィルヘルム・カール・グリム(1786-1859)の兄弟が童話・民話を収集したものですが、このヴィルヘルムの息子が、文芸評論家のヘルマン・グリム(1828-1901)です。ヘルマン・グリムは、アメリカの哲学者ラルフ・ウォルドー・エマーソン(1803-1882)の著作に感銘を受け、ふたりは、1856年から書簡の往復を通じて、エマーソンが亡くなるまで親交を深めました。1873年には、フィレンツェで実際に出逢ってもいます。

一方、エマーソンが強い影響を受けたのが、イギリスの評論家トーマス・カーライル(1795-1881)です。エマーソンは1833年にヨーロッパを旅行し、ローマでイギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)と出会い、ミルの友人であったカーライルへの紹介状を書いてもらい、ふたりはイギリスで出会います。1835年にはカーライルにアメリカへ講演に来るよう働きかけており、1881年にカーライルが死去するまで、2人は書簡の往復をつづけ親交を深めました。

そのカーライルは、1837年の『フランス革命史』で、フランス革命とは「『無秩序』が獄を破り、底なしの深き淵から噴き出して、制御しがたいほど無際限に暴れまわって世界を包み込み、熱病熱狂の様相を次々と現してゆく。そして遂にはその熱狂が自らをも焼き尽くし、それに含まれていた限りの新たなる『秩序』の要素が発達してゆき、制御しがたきものも、再び獄に繋がれることはないにせよ、轡をはめられ、その狂気の力も統制された正気の力として、己が目標に向かって働かされることとなろう」と批判しますが、カーライルのこの保守的なピューリタン=カルヴィニスト精神を批判したのが、フランスの哲学者イポリート・テーヌ(1828-1893)です。テーヌは「貴国のピューリタンたちが神の真理に身を捧げたように、彼等は抽象的な真理に身を捧げたのである。ピューリタンが宗教に従ったように、彼等は哲学に従ったのである。ピューリタンが個々人の救済を目指したように、彼等は社会全体の救済を目指したのである。ピューリタンが魂の内の悪と戦ったように、彼等は社会の悪と戦ったのである」といいます。

会うことが非常に難しい、めったにないことのたとえを「盲亀浮木[モウキフボク]」といいますが、その由来にはこんな話があります。
あるとき、お釈迦様が弟子の阿難に「人間として命を授かった事をどのように思っているのか」と尋ねます。阿難は「大いなる喜びを感じています」と答えます。お釈迦様は「例えば大海の底に一匹の目の不自由な亀がいて、その亀が百年に一度、息を吸いに波の上に浮かび上がってくる。ところがその大海に一本の浮木が流れていて、その木の真ん中に穴が一つ空いている。 百年に一度浮かびあがってくるこの亀が、ちょうどこの浮木の穴から頭を出すことがあるだろうか」と尋ねます。 阿難は「そんなことは、ほとんど不可能です」と答えると、お釈迦様は「誰もが、あり得ないと思うだろう。しかし、全くないとは言い切れない。人間に生まれるということは、この例えよりも更にあり得ない。とても有難いことなのだ」 と言います。

「優曇華」は、優曇波羅華[ウドンハラゲ]の略で、クワ科イチジク属の一種です。経典では、花が三千年に一度咲くといわれており、咲く時には全世界の理想的帝王「転輪聖王[テンリンジョウオウ]」が出現するといわれているため、「優曇華の花」とは、あいがたいことや、一般にきわめてまれなことのたとえに使われます。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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