見出し画像

#1378 暖炉の前の椅子で首をうなだれるしんじあ

それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。

しんじあという人は、明けても暮れても祈禱と説教にただ一筋に働く男です。恋を知らずば神を知らじ、神を知らずば恋を知らざらん。恋のはじめは神と人とに起こり、小さく説けば親と子の間に起こる。この心を長じて、男女を、国家を、天下を、後世を恋うまでも伸ばす者です。キリストも釈迦も真に恋しり、情けしりである。その流れを汲みながら心得ぬしんじあの恋しらず、るびなを恋う心なければ天下の女を、男を恋う心どこから湧き来るだろう。夫とは女の恋の焦点に当たる男、妻とは男の恋の焦点に当たる女、この焦点と焦点の一直線内にあることがまことの美しき配偶であろう。るびなとしんじあは、よき配偶であろうが、心得ぬしんじあの恋しらず、直線の外に出て、あらおぞまし。恋は鋭き鷹のごとし。よく放てば、君子を、道を、徳を得るが、空しく放てば、欲を追い、邪を追い、悪魔の手に帰す。鷹を放った人は、そのあとを付いて、高原を、幽谷を走り、険路の草の露と化して悪魔の生贄となること、心したまえ。しんじあは、ちぇりいからるびなの有様を聞き、煩悩に身を焼くばかり、清き心の白糸も恋に染まりて情けにもつれ、真紅に沈む憂きなげき。迷いの闇の道黒く、結ばれて解けにくい物思いだが、甘味ばかりでは料理はならず、直線のみでは絵はかけない。

義理といふ醎物[カラモノ]、場合といふ曲折のある習ひ。はて天地の序[ツイデ]にしても、花のさいた跡に毛虫のうるさき夏が来[キタ]り、實[ミ]の成[ナッ]た秋の末[スエ]が落葉[オチバ]の冬になりし此頃[コノゴロ]、庭木も痩せて骨立ち芝草[シバクサ]も枯れて色衰へ、烟突[エントツ]計[バカ]りは我が世顔[ヨガオ]に萬丈[バンジョウ]の気焔を吐くが、それすら高くはあがらぬ陰々[インイン]たる時節。往来[ユキキ]の人影も何處[ドコ]となく淋しき夕暮[ユウグレ]、一室[ヒトマ]の内にしんじあは暖爐[ダンロ]の前の低き肘懸[ヒジカケ]椅子に腰をおとし入れて、眠るが如く首をうなだれ、長き息を吐[ツ]きながら細く眼を開き、るびなとかすかによびしまゝ音もせざりしが、暫くしてまたるびなと此度[コノタビ]は眼もあかず口の内にて僅[ワズカ]に云ひしまゝ、眉を少し皺[シワ]めて首はます/\低[タ]れたりけるが、不圖[フト]ふり上げて眼は其[ソノ]まゝ

と、このあと、しんじあの長い独り言が続くので……

この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,937件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?