それでは今日も坪内逍遥の『梓神子』を読んでいきたいと思います。
第七回では、馬琴・西鶴に続いて近松門左衛門の霊が巫女に乗り移ります。近松いわく、ドラマの真の旨を得て、人間の本相を写しているのは自分を除いてほかにはいない。実用と美術とをひとつにした理屈詰めの評判は飲み込まぬ。理屈なしに面白くてこそ美術である。
近松の友人であり儒学者である穂積以貫[イカン](1692-1769)が著した浄瑠璃評注『難波土産[ナニワミヤゲ]』(1738)で、近松の言葉として紹介されているのが、近松の演劇論「虚実皮膜論」です。原文では「皮膜」と書いて「ひにく」と読ませています。
と書かれています。
ということで、この続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!