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#1416 自分の技の足りなさを恨む若き仏師

それでは、今日から幸田露伴の『風流佛』を読んでいきたいと思います!それでは早速まいりましょう!

発端 如是我聞

上 一向専念の修業幾年[イクネン]

三尊四天王十二童子十六羅漢さては五百羅漢、までを胸中に蔵[オサ]めて鉈小刀[ナタコガタナ]に彫り浮かべる腕前に、運慶も知らぬ人は讃歎[サンダン]すれども鳥仏師[トリブッシ]知る身の心耻[ハズ]かしく、其道[ソノミチ]に志す事深きにつけておのが業[ワザ]の足らざるを恨み、爰[ココ]日本美術国に生れながら今の世に飛騨の工匠[タクミ]なしと云わせん事残念なり。

如是我聞とは、「是[カク]の如[ゴト]く我は聞けり」という意味で、釈迦の弟子の阿難が釈迦の教えをきちんと伝えるために、経文の冒頭に記したとされている言葉です。仏教の経典の冒頭に必ず出てくる言葉です。

「鳥仏師」は、中国南梁からの渡来人・司馬達等[タット]の孫にして、日本で最初の本格的な仏像製作者である「鞍作止利[クラツクリノトリ](生没年不詳)」のことです。飛鳥時代に活躍し、法隆寺金堂の釈迦三尊像の作者でもあります。

珠運[シュウン]命の有らん限りは及ばぬ力の及ぶ丈[ダ]ケを尽してせめては我が好[スキ]の心に満足さすべく、且[カツ]は石膏細工の鼻高き唐人[トウジン]めに下目[シタメ]で見られし鬱憤の幾分を晴らすべしと、可愛[カワイ]や一向専念の誓を嵯峨の釈迦に立[タテ]し男、齢[トシ]は何歳[イクツ]ぞ二十一の春是[コレ]より風は嵐山[ランザン]の霞[カスミ]をなぐって腸[ハラワタ]断つ俳諧師が、蝶になれ/\と祈る落花のおもしろきをも眺[ナガ]むる事なくて、見ぬ天竺[テンジク]の何の花、彫りかけて永き日の入相[イリアイ]の鐘にかなしむ程凝り固[カタマ]っては、白雨[ユウダチ]三条四条の塵埃[ホコリ]を洗って小石の面[オモテ]はまだ乾かぬに、空さりげなく澄める月の影宿す清水[シミズ]に、瓜[ウリ]浸して食いつゝ歯牙香[シガコウ]と詩人の洒落[シャレ]る川原の夕涼み快きをも余所[ヨソ]になし、徒[イタズ]らに垣[カキ]をからみし夕顔の暮れ残るを見ながら白檀[ビャクダン]の切り屑[クズ]蚊遣[カヤ]りに焼[タ]きて是も余徳とあり難[ガタ]かるこそおかしけれ。

嵐山、三条四条、清水ということは舞台は京都のようですね。

「嵯峨の釈迦」とは、京都市右京区嵯峨野の小倉山にある五台山清凉寺、俗に釈迦堂といわれる本尊の釈迦立像のことです。

「歯牙香」という洒落とは、宋の詩人・陸游(1125-1210)が書いた「春夏之交風日清美欣然有賦」という詩がありまして

日鑄珍芽開小缶 銀波煮酒湛華觴
槐陰漸長簾櫳暗 梅子初嘗齒頰香
戶戶祈蠶喧鼓笛 村村乘雨築陂塘
年光何預衰翁事 伴蝶隨鶯也解狂

この「歯頬香」のひびきをとった露伴の造語らしいです。

さて、この珠運という男が主人公なのでしょうか。どうやら仏師のようですね。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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