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#787 作者は水を望み、評者は山を望む

それでは今日も坪内逍遥の『小説三派』を読んでいきたいと思います。

批評家侯の所望は、日本刀にあらず正宗にあらず支那劔にもあらず莫邪にもあらず、ダマスカスの短剣(ダツガル)なるをいかにせん。侯の注文理なくもあるかな。試[ココロミ]に想へ今の文壇誰か(依田)学海居士を推して博学卓識の文人とせざらん。而も居士の作の曾[カツ]て批評家の旨に称[アタ]はざるに非[アラ]ずや。又見よ竹のや主人の近作「太田道灌」の脚本を、誰か彼の作を評して学足らず識足らずといはんや。よし絶対に高くとは云ひがたきも、相対には高かるべし。而も此作を批評家に示さば彼れ果して何といふやらん。吾人は正に美といはざるべきを豫言す。是併しながら両家の技倆の拙[ツタナ]きがゆゑに然[サ]るにはあらで、作者と評者との間に旨の異なること甚しければならん。作者は水を望み評者は山を望み、作者は東に向ひ評者は西に向ふ、漸く進みて漸く離れ、漸く巧にして漸く拙なるが如くに見ゆるなり。嗚呼[アア]西方果して彌陀の浄土か、上人何とて其然る所以を説教せざる。
臺帳の事はさしおく、小説に就きていはんに、西洋にてもドラマの趣旨のをさをさ小説に用ひられしは実に近きころの例[タメシ]なり。前にもいへる如く、スコットは物語派と人情派との間にまたがりし作者にて、ヂッケンスの如きもまた然り。さてまたサカレーとても重[オモ]に人情派の作者と見てよかるべし。「ペンデニス」、「ヘンリ・エスモンド」などを見、「ヴニチ・フヘア」などを見るにも、人の主題となれる跡は明かなれど、人の主因となれる證はおぼろげなり。ジョージ・エリオットの諸作は評者の詳しからぬ所なれど、嘗て見つる「ミッドル・マーチ」によりて判ずれば、頗[スコブ]るドラマの旨意に称[カナ]へり。

「ヴニチ・フヘア」とは、イギリスの小説家ウィリアム・メイクピース・サッカレー(1811-1863)の『虚栄の市』(Vanity Fair 1847-48)のことです。この作でチャールズ・ディケンズ(1812-1870)と並ぶヴィクトリア朝時代を代表するイギリスの小説家となりました。『ペンデニス』(1848-1850)、歴史小説『ヘンリー・エズモンド』(1852)も彼の代表的作品です。

ジョージ・エリオット(1819-1880)も、ヴィクトリア朝を代表する女性の小説家で本名はメアリー・アン・エヴァンズです。『ミドルマーチ』(1871-72)は「英語で書かれた最高の小説のひとつ」に数えられています。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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