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#798 次に湖にやってきたのは高帽子の紳士

それでは今日も『底知らずの湖』を読んでいきたいと思います。

話の内容は、昨夜に見た怪しい夢に関することのようでして……場所はどこだかわからないが、池のような沼のような湖があります。周囲の距離もはっきりせず、湖のかたちは鶏の卵のようです。あたりの山々には春夏秋冬が一斉に来ており、空には高い峰々、滝の音は雷のようです。ここに霧が立ちこめる洞窟があります。これはどこへ続く道なのか。梅の花は白く、鶴がおり、丸木橋がかかっている。水の底には砂金が敷かれ、夏の木の実がなり、秋の果物が実っています。ここは、極楽の浄土か、天上の楽園か……。金翼の鳥が神々しく歌い、白色の花が神々しく舞っています。なんという怪現象なのか!雨露にさらされている高札を見ると「文界名所底知らずの池」と書かれています。どこからともなく道服を着た翁が来て、そのあとから仏教の僧侶とキリスト教の信者がやってきて三人で松の根に佇み、湖の風景を見て、空前絶後の名所なりと言います。水は智、山は仁、梅は節、松は操、柳は温厚の徳、橋は質素の徳、紅葉は奢るもの久しからずという心なのか…。三人は崖をおりて湖に足を踏み入れますが、深みにはまり、跡形もなくなってしまいます。その後、新たな人物が現れます。古風な帽子をかぶり、弁慶のように七つ道具を背負い、色々な道具を提げています。今歩いているのは自か他かと哲学者のように正しながら美しい湖の岸辺に近づきます。その後、老樹の後ろから新たな人物がやってきます。頭大きく眼差し鋭く紙子羽織を着て羊羹色の和冠をかぶっています。中国の西湖にスイスの山々、地面には奇草が生えています。古風な帽子をかぶった男は丸木橋のほとりまで歩きますが、踏み外して立ちどころに見えなくなります。羊羹色の和冠をかぶった男は驚き、「この水には霊が棲んでいる」と怖がりますが、身を翻しているうちに、この男も森の茂みに隠れてしまいます。

松の風颯々[サラサラ]と音[オト]して暫[シバ]しは鳥の聲[コエ]も静[シズカ]なりしが忽ち蹄[ヒヅメ]の音近く聞[キコ]えて向[ムカ]ひの峨々[ガガ]たる崖の上に一人の紳士現れたり。当世様[ヨウ]を旨[ムネ]として製[ツク]らせたる高帽子[タカボウシ]優[ユタカ]にいただき千里をもゆくべき逸物[イチモツ]にまたがり脚下[アシモト]に咲乱[サキミダ]れたる千草[チグサ]の花どもは見るにも足らずとて蹂躙[フミニジ]り蹈碎[フミクダ]き仰ぎて蒼空[アオゾラ]の大きなるを一睨[ゲイ]し俯[フ]して湖水[コスイ]の洋々たるを見渡しおよそ山水[サンスイ]の美は人の胸襟[キョウキン]を爽[サワヤカ]にし且つ廣[ヒロ]からしむればこそ要はあれさても目ざましく大きなる湖かな。世に泉水池沼[センスイイケヌマ]などいふものは夥多[ココラ]あれど斯うばかり心地よく大きなるは見ず。王候[オウコウ]も爰[ココ]には龍頭䳱首[リュウトウゲキシュ]の御船[ギョセン]を泛[ウカ]べさせたまふに足るべく蒸汽船[ムシケブネ]といふものも縦に横に走らしむるに足らん。斯うやうにてこそ湖なれ。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!


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