それでは今日も坪内逍遥の「梅花詩集を読みて」を読んでみたいと思います。
逍遥は、詩人の世界を、「心の世界」と「物の世界」に分けます。「心の世界」は「虚の世界」にして「理想」であり、「理想」を旨とする者は「我を尺度」として「世間をはかる」。彼等を総称して「叙情詩人(リリカルポエト)」とし、天命を解釈する「一世の預言者」とし、「理想家(アイデアリスト)」とします。「叙情詩人」は、作者著大で、「理想」の高大円満であることを望み、一身の哀観を歌い、作者の極致が躍然し、万里の長城のようである。「物の世界」は「実の世界」にして「自然」であり、「自然」を旨とする者は「我を解脱」して「世間をうつす」。彼等を総称して「世相詩人(ドラマチスト)」とし、造化を壺中に縮める「不言の救世主」とし、「造化派(ナチュラリスト)」とします。「世相詩人」は、作者消滅し、「理想」の影を隠し世態の著しさを望み、小世態を描き、作者の影を空しくして、底知らぬ湖のようである。我が国には短歌・長歌・謡曲・浄瑠璃等あるが、一身の哀観を詠ずる理想詩にとどまり、現実を解脱できていない。このたび、梅花道人があらわした新体詩は物象を解脱し造化を釈す試みは、まず喜ぶべきである、と。
ウィリアム・ワーズワース(1770-1850)はイギリスを代表するロマン派の詩人で1798年に発表した『抒情民謡集』は親友であるサミュエル・テイラー・コールリッジ(1772-1834)との共著であり、パーシー・ビッシ・シェリー(1792-1822)もイギリスのロマン派を代表する詩人です。上田敏(1874-1916)が訳詩集『海潮音』(1905)で発表した「春の朝[アシタ]」という訳詩は、ロバート・ブラウニング(1812-1889)の長編劇詩『ピッパが通る』(1841)の一節です。
1886(明治19)年、山田美妙(1868-1910)は尾崎紅葉(1868-1903)、丸岡九華(1865-1927)とともに『新体詞選』を刊行し、宮崎湖処子(1864-1922)は1890(明治23)年、詩文集『帰省』を発表します。
ということで、この続きは…
また明日、近代でお会いしましょう!