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#1385 四十枚にも及ぶ大長編詩

それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。

ぶんせいむは、うつむいて椅子に座るるびなに向かって「おまえの幸福の日が近づいてきた」と言います。今日は最終試験の日、最終試験に残ったのは五人。ぶんせいむは、前回の試験「不愉快という題で、その起因・性質及びこれを矯正する方法」に関する執筆問題で、どんな答えがあったのか、るびなに披露して驚かせようとします。「衣食住に足るを得れば不愉快はない」と答えた者は落第、「不愉快とは学問を食い足りぬ人の胃にある所の飢えの傷み」と答えた者も落第、「不愉快とは神の作り給える天地は善美なりという事を信ぜざる腐敗の脳髄に生ずるカビ」と答えた者も落第、しかし「不愉快とは不愉快を打破る勇気のない時の有様ゆえに勇気あれば即ち不愉快なし」と答えた者は及第、さらに「世間に一つも不愉快なし、ただるびな令嬢の歓心を得ざる時は大不愉快なれども、そのときは自殺すべければ不愉快もなし」と答えた者も及第だと言います。さらに、四十枚もの詩を書いた人もいるようで、るびなはぶんせいむに内容をお話くださいませんかと言います。

「あッはッは、詩と聞くと直[スグ]に顔色を直すからいゝ……一躰[イッタイ]の脚色は小人讒者[ショウジンザンシャ]が跋扈して人民が非常に苦しむ中に世を憂[ウレ]ふる君子淑女が種々[イロイロ]の辛酸[シンサン]を嘗[ナ]め盡[ツク]し漸く國[クニ]も太平[タイヘイ]になり婚姻の式を挙ぐるとたんに夷狄[イテキ]が國境[コッキョウ]に攻めて来たので、夫は直[スグ]に兵を率ゐて戦争に出たが、運わるく戦死したので妻は遂に焦[コガ]れ悲しんで盲目[メクラ]になつて迷ひ歩行[アル]き、何とかいふ高山[コウザン]の雪中[セッチュウ]で凍え死ぬるといふ實[ジツ]に凄い話だ。」
「どこでもよろしいから覚えて居らッしやる所を一節お聞[キカ]せ下さいな。」
「夫の軍[イク]さに出立したあとの處[トコロ]だよ。」
夫は関山[カンザン]遥[ハルカ]なる胡地[コチ]の軍[イクサ]にありと聞く。妻は山家[ヤマガ]のひとりずみ、うれたき庭もあれはてゝ、八重[ヤエ]に鬼蔦[オニヅタ]這添[ハイソ]ひし槇[マキ]の柱に身をもたせ、力もなげに打見[ウチミ]やるあなたの空の浮雲は、うき雲は、修羅のちまたに飛びちがふ駒の蹄[ヒヅメ]にたつ塵か。……あゝら英雄[エイユウ]畢竟[ヒッキョウ]馬前[バゼン]の塵『吾夫[ワガツマ]はや』。あゝら鐵壁[テッペキ]空しく倒[タ]ふれて残灰[ザンカイ]冷[ヒヤ]やかなり『吾夫[ワガツマ]はや』。折からさつと山下風[オロシカゼ]、窓打つ音のさら/\/\、落葉[オチバ]か雨か……兜の鎬垂[シノタレ]眉庇[マビサシ]や、鎧の小袖[コソデ]上袖[ウワソデ]に、霰[アラレ]の如く落[オチ]かゝる矢玉[ヤダマ]もかくこそ……あゝら矢石[シセキ]無情にして人を擇[エラ]ばず『吾夫[ワガツマ]はや』。楓[カエデ]、櫨[ハゼ]の木、漆の木、からくれなゐに染めなせる野山の紅葉[モミジ]は敵味方、斬[キリ]つ斬[キラ]れつ入亂[イリミダ]れ、火炎[ホノオ]の如き熱血の草を染めたるありさまもかくぞや如斯[カク]ぞ……あゝら腥血模糊[セイケツモコ]として紅千里[クレナイセンリ]『吾夫[ワガツマ]はや』。日の光さへ薄白く、蓬[ヨモギ]はかれて色あせぬ、小川の水の音もなく、かすかに流るゝ物凄さ……勇者は亡[ホロ]び、智者は去り、旗は破れて樹にかゝり、刀[ヤイバ]はをれて地にまみれ、戦ひ果てし荒野[アレノ]には恨[ウラミ]ばかりや残るらん残るらん……あゝら、つはものどもが夢の跡『吾夫[ワガツマ]はや』。
「あゝお父[トッ]さん最[モ]うやめて下さい、そんなに節[フシ]をつけておうたひなさると悲しくつて胸がいたくなります。」

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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