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#1390 恋も叶わず望みも成らずも嬉しそうな顔付き

それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。

ぶんせいむは、うつむいて椅子に座るるびなに向かって「おまえの幸福の日が近づいてきた」と言います。今日は最終試験の日、最終試験に残ったのは五人。ぶんせいむは、前回の試験「不愉快という題で、その起因・性質及びこれを矯正する方法」に関する執筆問題で、どんな答えがあったのか、るびなに披露して驚かせようとします。「衣食住に足るを得れば不愉快はない」と答えた者は落第、「不愉快とは学問を食い足りぬ人の胃にある所の飢えの傷み」と答えた者も落第、「不愉快とは神の作り給える天地は善美なりという事を信ぜざる腐敗の脳髄に生ずるカビ」と答えた者も落第、しかし「不愉快とは不愉快を打破る勇気のない時の有様ゆえに勇気あれば即ち不愉快なし」と答えた者は及第、さらに「世間に一つも不愉快なし、ただるびな令嬢の歓心を得ざる時は大不愉快なれども、そのときは自殺すべければ不愉快もなし」と答えた者も及第だと言います。さらに、四十枚もの詩を書いた人もいるようで、るびなはぶんせいむに内容をお話くださいませんかと言います。太平の世に夫婦となったが、夷狄が攻めてきたので、夫は戦争に出るが戦死し、妻は悲しんで盲目となり、高山の雪中で凍死するという内容で、それを聞いたるびなは「もうやめて下さい。悲しくって胸が痛くなります」と言います。この人にもぶんせいむは及第を与えます。さらに「知らない」と答えた人もいるようで、ぶんせいむはこの人も及第とします。そしてちょうど試験の時刻となりますが、四十枚の長編を書いた詩人がやってきません。しかし、それでも試験を始めることになります。ぶんせいむはしんぷるに四人を別々の部屋に入れておくように命じます。すると、詩人から手紙が届きます。どうやら辞退に関する手紙のようです。どれ試験をしてやろう、とぶんせいむはそれぞれの部屋へと行きますが、わずかの間にふたりは終わって帰ります。三番目の哲学者の部屋に入って、ぶんせいむは言います。「試験はすでに結果せり。お帰りなされ」。「何とおっしゃる」。「るびなはすでにある男の妻たるべき旨の契約をしたから先生を試験する必要はないのだ」。「なんと」。「あなたは只今落第だ。その怒った有様を鏡でごらんなさい」。「失敬極まる。そんなら帰る」。これが最終試験の内容です。そして、最後にいよいよ田亢龍に扮した吟蜩子のもとをぶんせいむは訪れます。

ぶん「支那の紳士帰り給へ。るびなは既に或る詩人に許せり。」
と無禮[ブレイ]にも云ひ放てば。
吟「妙々[ミョウミョウ]、はゝさうですか……そんなら私が試験を受けぬ前に定まつたのですな。」
ぶん「左様。」
吟「妙々、そんなら私は試験に落第したのではないのですな……して見れば矢張[ヤハリ]常に愉快な人と見えるな……はゝ妙々落第もしないが、及第もしないので……是[コレ]なら田亢龍も文句の付けどころがないな。はゝゝ素敵にうまい結果になつた。」
と吟蜩子の我に帰りて初めは對話[タイワ]、末[スエ]は獨[ヒト]り言に、さも嬉しげに打笑[ウチワラ]へば、按[アン]に相違のぶんせいむ、しんぷる暫く言葉もなかりしが、しんぷるは腹の中に、さて/\變人[ヘンジン]もあればあるもの哉[カナ]。何千里の道を遙々[ハルバル]嫁取りの爲に来ながら戀[コイ]も叶はず望みも成らず腹の立つべき無禮[ブレイ]を受けたるに眞[シン]から嬉しさうな顔付き。此の調子では主人のぶんせいむも負けぬ變者[ヘンブツ]なれば目白は目白と親しむ道理。殊さら落第さすべき言草[イイグサ]もなければ變者[ヘンブツ]の支那人を變者[ヘンブツ]の主人が愈々[イヨイヨ]婿に取らうといふかもしれず。さればるびな嬢の歎きぶんせいむ家の不爲[フタ]め……まさか此様[コノヨウ]な變者[ヘンブツ]もあるまいと高を括つて最初から諫めずに居たがかうなつては非常の失錯……るびな嬢の胸も大概は分[ワカ]つて居ればぶんせいむ様の思ひ付[ツキ]をどうか止[ヤ]めるやうに諫めてと妻がいふたを用ひなかつたがおれの一生の失敗……妻[サイ]にむかつてもるびな嬢に向つても、おれの親切の薄いやうな事だ……失敗だ……いや誤つたでは仕方がない。どうでも此の變者[ヘンブツ]を落第させるより外[ホカ]に失敗の贖罪をする所はない、と流石に分別も早き敏捷の男ぶんせいむの後[ウシロ]より、
しん「元来[ガンライ]鼠の肉を食ふ人種は無論及第する筈はないのです。」
吟「田亢龍が悪く云はれるのはいくら烈しくても構はない。はゝゝ。」
しん「はてな……御主人々々々、然し折角遠路をきた紳士をたヾ帰すも失禮[シツレイ]ですからあの豚の尾を三だいむ計[バカ]りで買つて鞭の先にしたら如何[イカガ]でしやう。」
吟「はゝ亢龍を気死[キシ]せしむるに足る名言だ。」

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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