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#1438 お辰を女房にもってから奈良へでも京へでも連立て行きゃれ

それでは今日も幸田露伴の『風流佛』を読んでいきたいと思います。

七蔵に百両を払ってお辰を宿屋の養女とした珠運。ここで数日逗留しますが、奈良を思い起こし空しく遊んでいるべきあらずと旅支度を整えます。それを見て宿屋の亭主が呆れます。「これはこれは、婚礼も済まぬに」「はて、誰の婚礼」「知れた事、お辰が」「誰と」「あなたじゃなければ誰と」珠運赤面し「ご亭主こそ冗談はおきたまえ。お辰様を愛しい思うが女房にしようとは一厘も思っていない。旅の者に女房授けられては甚だ迷惑」。

ハハハヽア、何の迷惑、器量美しく学問音曲[オンギョク]のたしなみ無[ナク]とも縫針[ヌイハリ]暗からず、女の道自然と弁[ワキマ]えておとなしく、殿御[トノゴ]を大事にする事請合[ウケアイ]のお辰を迷惑とは、両柱[フタハシラ]の御神以来図[ズ]ない議論、それは表面[ウワベ]、真[マコト]を云えば御前の所行も曰[イワ]くあってと察したは年の功、チョン髷を付[ツケ]て居ても粋[スイ]じゃ、実[マコト]はおれもお前のお辰に惚[ホレ]たも善[ヨ]く惚[ホレ]た、お辰が御前に惚たも善く惚たと当世の惚様[ホレヨウ]の上手[ジョウズ]なに感心して居るから、媼[ババ]とも相談して支度出来次第婚礼さする積[ツモリ]じゃ、コレ珠運年寄の云う事と牛の鞦[シリガイ]外れそうで外れぬ者じゃ、お辰を女房にもってから奈良へでも京へでも連立[ツレダッ]て行きゃれ、おれも昔は脇差[ワキザシ]に好[コノミ]をして、媼も鏡を懐中してあるいた頃、一世一代の贅沢に義仲寺[ギチュウジ]をかけて六条様参り一所にしたが、旅ほど嚊[カカ]が可愛[カワユ]うておもしろい事はないぞ、いまだに其頃[ソノコロ]を夢に見て後での話しに、此間[コノアイダ]も嫗[ババ]に真夜中頃入歯を飛出さして笑ったぞ、コレ珠運、オイ是は仕たり、孫でも無かったにと罪のなき笑い顔して奇麗なる天窓[アタマ]つるりとなでし。

両柱の御神とは、伊弉諾尊[イザナギノミコト]と伊弉冉尊[イザナミノミコト]の男女二神のことです。

「図ない議論」とは、とんでもない議論という意味です。

#064でも紹介しましたが、1871(明治4)年に明治政府は太政官布告第399号でいわゆる「散髪脱刀令」という法令を出しました。1873(明治6)年3月には明治天皇も斬髪します。『風流佛』は1889(明治22)年ですが、地方には宿屋の亭主のように、まだちょん髷している人がいたのでしょうね。

「年寄りの言うことと牛の鞦は外れない」とは、経験豊富な年寄りの意見に間違いはないという諺で、鞦とは、牛の胸から尻にかけて取り付ける、車の轅[ナガエ]を固定させる緒のことです。

義仲寺は、滋賀県大津市にある天台宗の寺院で、木曽義仲(1154-1184)を葬った義仲塚があります。松尾芭蕉(1644-1694)もここに眠っています。

六条様参りとは、京都市下京区にある浄土真宗総本山西本願寺にお参りすることです。

というところで、「第六回の上」が終了します。

さっそく「第六回の中」を読んでいきたいと思うのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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