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#833 勧懲を横糸とし、儒教を縦糸として…

それでは今日も坪内逍遥の『梓神子』を読んでいきたいと思います。

第四回は、「我慢」の上中下を論ずるところから始まります。我慢の「最大」は一切の善悪を受け入れて余りある状態で、我慢の無いことに等しい状態。我慢の「中[チュウ]」は衆善を容れる量はあるが、衆邪を破るには疾風のなかの枯葉を掃うに似ている。そして我慢の「下々[ゲゲ]」は、目の無い笊[ザル]のようで、善をも容れなければ悪をも容れない。ゆえに自分を尊び、思い上がる。巫女に乗り移った目の前の怨霊は、まさにこれで、どんなに論じても退散の効き目がない。ひとたび外郭を乗っ取り、写実派の旗を立てるのが目的成就の道理であるが、理想詩人はまだ誕生の産声をあげていない。最近起ころうとしている理想派の勧懲詩は怨霊の描いていた物語と似ているが、古来より似て非なるものが近所にあることが迷惑至極であるわけで……

新発明の大妙薬に偽似[ニセ]ができたと思うて見られよ。本店[ホンタナ]が黙止[オシダマ]りて見てあらうか。且[カツ]は又假令[タトイ]優劣は無しとするも、人は皆佛菩薩[ホトケボサツ]の化身にあらず、忌敵[イミガタキ]の同賣買[ドウショウバイ]に絶えぬ事は浮世の習[ナライ]なり。況[イワン]や我よかれ人わるかれの當世[トウセイ]、ずるき輩[ヤカラ]は足下[ソコモト]を例の踏臺[フミダイ]にふまへて出来るだけの背延[セノバ]しすまじき事か、此邊[コノヘン]篤[トク]と胸に手をあてられなば、彼等が足下の剛敵[ゴウテキ]たるべき所以明[アキラ]かなるべし。さて美妙斎が頼朝、秀吉を解剖し、残花[ザンカ]、雲峯[ウンポウ]が過去を歌ひ、嵯峨のやが坂東武者[バンドウムシャ]を活かし、其他[ソノタ]かれがしくれがしが斯うしたあゝしたことは事実なれど、之をもて足下流[ソコモトリュウ]の時代物復興[フッコウ]などゝあるは彌々[イヨイヨ]以て勘[カン]たがへの藪睨[ヤブニラミ]なり。

「美妙斎」は山田美妙(1868-1910)のことです。「没理想論争」関連の評論文のなかに、一体、どれだけ「美妙」の名が出て来るんでしょうね!それだけ、逍遥は、山田美妙のことを買っていたんですよねぇ~

「残花」は、詩人の戸川残花(1855-1924)のこと、「雲峯」は、同じく詩人の磯貝雲峰(1865-1897)のことです。「嵯峨のや」は、二葉四迷の同級生で、逍遥の門下であった小説家・嵯峨の屋おむろ(1863-1947)のことです。

今の世足下[ソコモト]と同じ心にて時代物をつくらうといふ化物、関西は知らず、箱根よりこちらには誓文[セイモン]、八幡[ハチマン]、如来さま掛けて無し。プーシキンといふ男の事は知らず、スコットの時代物は足下のとは缺皿[カケザラ]と紅皿[ベニザラ]全くの腹ちがひなり。

「プーシキン」は、ロシア近代文学の詩人アレクサンドル・プーシキン(1799-1837)のことです。

スコットは或男[アルオトコ]がいひし通り、昔を夢に見る作者にてありしが、孔子さまが周公を慕[シタ]はれし心持[ココロモチ]にて、衣[コロモ]の裏をかへす手數[テスウ]ばかりか、有丈[アルタケ]のまじなひ仕盡[シツク]して、夜晝[ヨルヒル]夢を見たりしゆゑ、たとひリチャード獅子王は見得[ミエ]ぬまでも、アイヷンホーはまんざら彼れが理想中の化物にはあらず。ルイ十一世は贋[マガイ]かもしれねど、クェンチン・ダルワードは流石に武士の木乃伊[ミイラ]ではなし。即ち過去が彼[カ]の男の目を離れぬゆゑに、彼れの作は所謂理想詩の界[サカイ]を離れて折々自然詩の趣[オモムキ]あるなり。足下が勧懲を経[ヨコイト]とし、儒教を緯[タテイト]として、時代物を編[アマ]れしとは別なり。

「リチャード獅子王」はイングランド王のリチャード1世(1157-1199)のこと、「アイヷンホー」は、ウォルター・スコット(1771-1832)が1820年に発表した長編小説『アイヴァンホー』のことです。架空の主人公が現実の歴史的な出来事で活躍する手法の作品で、リチャード1世の十字軍遠征時代が舞台です。1823年に出版された『クエンティン・ダーワード』も同様の手法で描かれており、フランス国王ルイ11世(1423–1483)に仕えたスコットランドの射手に関する物語です。スコットは、1814年に出版した『ウェイバリー』から20数篇にわたって同様の手法で歴史小説を書いており、この一連の小説群は「ウェイバリー小説」と呼ばれています。スコットの名が冠されていないのは、この当時、スコットは匿名で出版しており、『ウェイバリー』出版以後は、タイトルページに「ウェイバリーの著者による」と記していたためです。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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