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#1379 るびな、るびな、例の通り、鳩ばかり可愛がっているだろうか

それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。

しんじあという人は、明けても暮れても祈禱と説教にただ一筋に働く男です。恋を知らずば神を知らじ、神を知らずば恋を知らざらん。恋のはじめは神と人とに起こり、小さく説けば親と子の間に起こる。この心を長じて、男女を、国家を、天下を、後世を恋うまでも伸ばす者です。キリストも釈迦も真に恋しり、情けしりである。その流れを汲みながら心得ぬしんじあの恋しらず、るびなを恋う心なければ天下の女を、男を恋う心どこから湧き来るだろう。夫とは女の恋の焦点に当たる男、妻とは男の恋の焦点に当たる女、この焦点と焦点の一直線内にあることがまことの美しき配偶であろう。るびなとしんじあは、よき配偶であろうが、心得ぬしんじあの恋しらず、直線の外に出て、あらおぞまし。恋は鋭き鷹のごとし。よく放てば、君子を、道を、徳を得るが、空しく放てば、欲を追い、邪を追い、悪魔の手に帰す。鷹を放った人は、そのあとを付いて、高原を、幽谷を走り、険路の草の露と化して悪魔の生贄となること、心したまえ。しんじあは、ちぇりいからるびなの有様を聞き、煩悩に身を焼くばかり、清き心の白糸も恋に染まりて情けにもつれ、真紅に沈む憂きなげき。迷いの闇の道黒く、結ばれて解けにくい物思いだが、甘味ばかりでは料理はならず、直線のみでは絵はかけない。しんじあは暖炉の前のひじ掛け椅子に座り、眠るが如く首をうなだれ、るびなとかすかに呼んだまま、ふと振り上げて……

「るびな、るびな、あゝどうしたらう……矢張[ヤハリ]例の通り鳩計[バカ]りかあいがつて居るだらうか。餘念[ヨネン]もなく埒[ラチ]もなく世界には人といふものがあるといふ事も知らぬやうな顔付[カオツキ]をして(其癖[ソノクセ]其[ソノ]顔の笑窪[エクボ]は鐵[テツ]のやうな人をとらかす坩堝[ルツボ]でありながら)唯[タダ]鳩計[バカ]り可愛[カアイ]がつて居る罪のないもの好き……蝶を可愛がつて飼つた處女[ショジョ]が哲学者を迷はせたといふ話があるが、愛度気[アドケ]なさは丁度一つ。だが贔負目[ヒイキメ]で見れば菜園麥隴[サイエンバクロウ]の間を飛びありく蝶を金網の中に押籠めたのは温順閑雅[オンジュンカンガ]で主[ヌシ]を慕ひ家を戀[コ]ふ鳩を飼ふに比べては思ひ劣りのする業[ワザ]だ。

米と野菜のことを「米穀菜蔬[ベイコクサイソ]」、野菜や穀物を育てる農地のことを「菜圃麦隴[サイホバクロウ]」といいます。

云はヾ蝶を愛して蝶の天賦[テンプ]を枉[マ]げると鳩を愛して鳩の天賦に従ふことの大きな差だ。あの様な處女[ショジョ]に愛されたら彼[カ]の哲学者もあちらこちらを飛[トビ]あるかぬやうに鐵網[カナアミ]の中に入[イ]れられさうな話しだ。ほゝ餘計[ヨケイ]な事だが何にしろ鳩はよい……やさしき鳩、閑[カン]なる鳩、喜びの案内せし鳩、聖霊は汝の如く下りし鳩……えゝ自分ながら譯[ワケ]が分らない。鳩まで可愛くなつて来た。併[シカ]し鳩を愛するにさへあゝ親切なるるびなに愛される人間だもの……其[ソノ]親切の火に其[ソノ]坩堝の内で蕩[トカ]されて感化されて鳩好きになるも當然[トウゼン]だかも知れん。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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