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#963 鷗外の「理想」と逍遥の「理想」は同名にして異義⁉

それでは今日も坪内逍遥の「没理想の由来」を読んでいきたいと思います。

さて、今日までの批評家は、いづれも皆シェークスピアの理想は、此の物に外ならず、とDead lock(死の錠)を下すこと能はざるが故に、假令[ヨシ]こゝに挙げたる著者の如くに、彼れの理想は、プラトーの理想なり、と断言すとも、子はいまだ信ぜざるべき権利あり、若干の證據を挙げて、シェークスピアの作には、プラトーの理想の外に、他に理想の見えたることを、論證すること、容易なりと信ずればなり。恐らくは、鷗外君の謂ふ理想と、わが謂ふ理想とは、同名にして異義ならんか。
著者はまた、エマルソンを引きて「彼れはシェークスピアに対して、甚だ厳重なる告發[チャージ]を呈出せり、シェークスピアは、慰鬱と娯楽との外には、そが技術によりて達すべき、何等の目的をも有[モタ]ざりき、と責めたり」とて、かの『リプレゼンターチーヴ、メン』の中なる、シェークスピア論を抄出し、其の末に自家の説を加へて

いでや、かゝる告發は、彼の詩人(按、シェ種クスピア)の美術を研究する思索家たるものが、或は無意識に、或は意識して、早晩一たびは呈出すべきものなり。嗚呼彼の人(按、シェークスピア)の身の内にありし神霊よ、その神霊は、未だ會て、彼れが美術と相関したる、哲理的方面を有せざりしか。

と假問し、さていはく

そも彼れが美術創作に関する總合[シンセシス]の秘訣は、如何なる處にか存ぜし。如何なる意味にてもあれ、凡そ創作といふ名を有し得べき價値あるものには、總合無きこと能はざるなり。かく問はヾ人は答へん、これエマルソンが、特りシェークスピアに対してのみならず、ホーマル、ダンテ等に対しても、呈出せる告發[チャージ]なりと。されど、件の責は、ダンテには全くは當たらず、彼れの作多少哲学的なればなり。

こゝに哲学的といふは、わが所謂理想的の義に近し。

ラルフ・ワルド・エマーソン(1803-1882)の『Representative Men』は、1850年に出版されたエッセイで、エマーソンが偉大であると見なした男性6人を紹介しています。「哲学者」の章でプラトン(前427-前347)、「神秘家」の章でエマヌエル・スヴェーデンボリ(1688-1772)、「懐疑論者」の章でモンテーニュ(1533-1592)、「詩人」の章でシェークスピア、「世界の男[マン・オブ・ワールド]」の章でナポレオン(1769-1821)、「作家」の章でゲーテ(1749-1832)を挙げています。日本では、1903(明治36)年に、大日本図書から大谷正信(号は繞石[ギョウセキ])の翻訳で『標註 偉人論』という題で出版されます。

「没理想の由来」は、このあとも、1884年に出版された未詳氏の著書の批判を行なうのですが……

この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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