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#865 まずは「小説三派」の概略から始まります

それでは今日も森鷗外の「逍遙子の諸評語」を読んでいきたいと思います。

鷗外は新たな批評家として坪内逍遥と幸田露伴を挙げ、逍遥の批評眼を取り上げます。鷗外は言います。批評眼とは哲理眼である、と……

能くものを容るゝ批評は、其標準の完美なること想ふに堪へたり。劉海峰[リュウカイホウ]のいはく
居高以臨下。不至於爭。爲其不足與我角也。至於才力之均敵。而惟恐其不能相勝。於是紛紜之辨以生。是故知道者。視天下之岐趨異説。皆未甞出於吾道之外。故其心恢然有餘。夫恢然有餘。而於物無所不包
(高きに居りて以て下を臨めば、争うに至らず。其の我とくらぶるに足らざる為なり。才力の敵と均しきに至りて、ただ其の相勝るあたわざるを恐れ、ここに於いて紛紜[フンウン]の辨[ベン]以て生ず。この故に道を知る者は、天下の岐趨異説を視て、皆未だ嘗て吾が道の外に出でず。故に其の心恢然[カイゼン]として餘り有り。夫れ恢然[カイゼン]として餘り有れば、物に於いて包まざる所無し。)

#433で紹介した岸田吟香は、1877(明治10)年、売薬業「楽善堂」を興し、眼薬「精錡水」やビン入り濃縮レモン水の販売などを行ないますが、1881(明治14)年頃には楽善堂書房を設立して出版事業も手掛けます。日中間の相互理解を深めるため中国人の著書・訳本などを次々に刊行しますが、そのなかに劉海峯文集全10冊があります。

蓋[ケダシ]逍遙子が能くものを容るゝは、その地位人より高きこと一等なればなるべし。
逍遙子は演繹評を嫌ひて、歸納評を取り、理想標準を抛[ナゲウ]たむとする人なり。然れども子も亦我を立てゝ人の著作を評する上は、絶て標準なきこと能[アタ]はじ。われ其小説三派及梓神子をみて、その取るところの方鍼[ホウシン]を認めたり。
逍遙子の小説三派とは何をか謂ふ。其一を固有派又主事派又物語派と名づけ、次を折衷派又性情派又人情派と名づけ、末なるを人間派と名づく。
固有派は事を主とし、人を客とし、事柄を先にし、人物を後にす。主人公をば必ずしも設けず、たま/\これを設けても、事の脈絡を繋[ツナ]がむ料にしたるのみ。されば大かたの事變は、主人公の性行より起らしめずして、偶然外より來らしむ。是[ココ]に於て人物は客觀なり。此派の作者は俗にいへる三世因果の説を理想とし、若[モシ]くは天命の説を理想とするなり。我[ワガ]曲亭、種彦などに此流義ありて、外國にては、中古の物語類はいふも更なり、スモオレツト、フイヽルヂングなど此派に屬し、スコツト、ヂツケンスといへども間々これに近し。此派は人に配すれば支體の如く、畫[エ]に配すれば文人畫の梅の如く、學問に配すれば常識の如し。

まずは、「小説三派」の概略から始まりましたね。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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