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#806 没理想論争エピソード0!次は『梅花詩集を読みて』を読んでいくぞぉ!

さて、『底知らずの湖』に次いで読むのは『梅花詩集を読みて』です。

1891(明治24)年3月、坪内逍遥は、中西梅花(1866-1898)の『新體梅花詩集』(1891 博文館)の批評「梅花詩集を読みて」を3月22日から24日まで全3回に分けて読売新聞に連載します。

「烏有先生に答ふ」の「其の三」には、こんなふうに言及されます。

曲亭は小説家の随一人なれども、小説家の全体にあらざればなり。われ嘗て『梅花詩集』を評せし時、いさゝか此の点に触れていひけらく…(#705参照)

と言って、この後、一部を引用するわけですが、今回は、その全文を追っていきましょう!

詩人の筆に上[ノボ]る世界二ツあり。心の世界と物の世界となり。甲は虚の世界にして理想[アイデア]なり。乙は実の世界にして自然[ネチューア]なり。理想[アイデア]を宗[ムネ]とする者は我を尺度[モノサシ]として世間を度[ハカ]り自然[ネチューア]を宗とする者は我を解脱して世間相を写す。前者は総称して叙情詩人[リリカルポエト]といふべく後者は総称して世相詩人[ドラマチスト]といふべし。前者能く大[オオイ]なることを得ば或は天命を釈し得て一世の預言者[プロヘット]たらん。後者能く大[オオイ]ならば或は造化を壺中[コチュウ]に縮めて長永[トコシナエ]に不言の救世主[サビヨル]たらん。理想家[アイデヤリスト]の作の大[オオイ]なるには作者著大にして乾坤[アメツチ]を呑み造化派[ナチュラリスト]の作の大[オオイ]なるには造化活動して作者其間に消滅す。されば叙情詩人[リリカルポエト]には理想の高大円満ならんことを望むべく世相詩人[ドラマチスト]には理想の全く影を蔵[カク]して単[ヒトエ]に世態の著しからんことを望むべし。又太[ハナハ]だ小ならば二者共に現在を離れ得ずして叙情家は一身の哀観を歌ひ世相派は管見の小世態を描かん。今大小を混[コン]じて例を挙げば前者はダンテの如くマアロウの如くミルトンの如くカーライルの如くバイロンの如くウヲーヅヲースの如くブラウニングの如く後者はホーマルの如くシェークスピヤの如くギヨーテの如くスコットの如くエリオットの如し。要するに理想派の諸作には作者の極致[アイデアル]とする所躍然[ヤクゼン]として毎[ツネ]に飛動[ヒドウ]し造化派の傑作には作者の影全く空し。叙情詩人の大[オオイ]なるは猶雲に冲[ヒイ]る高嶽[コウガク]のごとく彌々[イヨイヨ]高うして彌々著しく世相詩人の大[オオイ]なるは猶邊[ホトリ]無き蒼海のごとく彌々大[オオイ]にして彌々茫々たり。前者は猶万里の長堤[チョウテイ]のごとし。遠うして更に遠しといふとも詮ずるに蹈破[トウハ]しがたきにあらず。後者は猶底知らぬ湖の如し。深うして更に深く終[ツイ]に其底を究[キワ]む可[ベカ]らず是を二者相異の要点とす。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!


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