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#826 第三回は、巫女に乗り移った怨霊が、ただの自慢オヤジだと悟るところから…

それでは今日も坪内逍遥の『梓神子』を読んでいきたいと思います。

今日から「第三回」に入ります!

巫女に乗り移った怨霊が、近年の作家の態度を嘲ったあとのことです。

怨霊も見ぬ程ぞ怖かるべきが、かうさし向[ムコ]うて見れば、我慢[ワレホメ]の只の老爺[オヤジ]なり、何の怖[オソ]るゝ事かある、とやう/\強くなりて、南無怨霊頓生菩提[ナムオンリョウトンショウボダイ]、と式の通り三度唱へて、尚ほ念の為に浮びたまへ浮びたまへと和譯[ヨミ]をさへ添へて、扨[サテ]いふやうは、迷うたりな、幽霊、戸惑ひすな/\、近比[チカゴロ]人々折衷料理に食饜[ショクモタ]れして、鶴の脚のソップに秋の風吹[フキ]たるを、曲亭颪[オロシ]と手前勝手の早合點[ハヤガテン]して、気短[キミジカ]なる蘇生甚だ以て笑止の至りなり。

「ソップ」とは、オランダ語の「soep」つまり「スープ」のことです。ってことは、ここでいっているのは、文字通り、「鶴の脚を煮込んだ鶏がらスープ」のことなのでしょうか……

1873(明治6)年に「鳥獣猟規則」が公布され、銃猟の免許鑑札制や可猟地域、狩猟期間、猟法の制限などが規定され、1892(明治25)年には「狩猟規則」が公布され、規制対象が銃猟から網、もちなわ、放鷹等にまで拡大し、また、鳥獣保護の観点から、狩猟を禁止する鳥獣を規定しました。捕獲を禁止する鳥類は12種類で、ツバメ・ヒバリ・タヒバリ・セキレイ・シジュウカラ・ゴジュウカラ・ヒガラ・ミソサザイ・キツツキ・ムクドリ・ホトトギスそしてツルでした。

1630(寛永7)年に刊行された『和歌食物本草』は、和歌のかたちで書かれた食物本草書ですが、そこには「鶴」の項目があり、「百病に効く薬なりけり」と記されています。また1730(享保15)年に嘯夕軒宋堅[ショウユウケンソウケン]によって書かれた料理書『料理綱目調味抄』には、「汁に用いるべき鳥の部」という項目があり、その筆頭として「鶴」が紹介されています。鳥は冬場に塩漬けにして、調理の際に水に浸して塩出しをしてから食べていたようで、鶴汁は高級スープだったようです。

その一方で、例えば、徳川綱吉(1646-1709)のいわゆる「生類憐みの令」では、1687(貞享4)年2月27日に「けふ令せられしは、食料とて魚、鳥を畜養してうりひさぐこと、今より後かたく停禁すべし。鶏、亀もこれに同じ。但し玩弄のために魚鳥飼ふことはゆるすべし。鶴、亀、貝類に至る迄、食料とては一切飼置べからずとなり」というお触れが出されていますし、徳川吉宗(1684-1751)は1718(享保3年)に鶴・白鳥・雁・鴨などが少なくなったため、食用にすることを禁止しています。

ちなみに、タンチョウヅルはあまり美味しくないそうで、食用は専らナベヅルやマナヅルだったそうです。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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