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#961 シェークスピアはプラトニック・フィロソファー?

それでは今日も坪内逍遥の「没理想の由来」を読んでいきたいと思います。

これより先つかた、廿三年の秋、われわが「白日[ヒル]の夢」の腹案をつヾりしことあり、これわが無限生涯と有限生涯との別をたてたるはじめにて、無限の生涯に対しては、欲無限なれ、とし、有限の生涯に対しては、欲有限なれ、と定めき。これら空想の辨、こヽに物すべき必要なければ、いはず、只一言いふべきは、没理想といふことを、無限に対する方便とせしは、こヽに基けるなり。さしもわが根底は、消極なりしからに、知らず識らず、わが心は退縮して無底の井におちいらんとせしこと、幾たびといふ數を知らず。こぞの暮に至り、少しくわが非を覚りしかば、此の上は何事に対しても、サタンの如き無限の欲を持して、ヘルキユリーズの如き勇をふるひ、進んで百難に當たるべし、と心やヽ搖きぬる折ふし、端なくも没理想の語義に関して、鷗外君と衝突せり。

「ヘルキユリーズ」は、ギリシア神話の英雄ヘラクレスのことです。

消極の夢驚きさめて、緘默[カンモク]の非を覚ること、一層を加へたり。すなはちわが空想を公にして、わが悪業因を断滅すべき緒[イトグチ]を作らばやと思ひたちしが、さすがに宗々しき文章もて綴りいだすことの裏はづかしく、又二つには、これは只逍遥が一時安處の空想のみ、本来の懐疑は、毫もそが為に消長せずといふことを知らせんために、わざと小羊子といふ憑空の人物を作り、孟浪筆に任せて、破題二くだりを物せしは、すなはち彼の「白日夢」の蕪稿にして、その間に些の他念もなかりき。冷語険語ならぬはいふまでもなし。しかるに鷗外君は之れを酷しき冷刺とせり。
さるほどに、客月[カクゲツ]二十九日の夜、ゆくりなく見つる書に、未詳氏が千八百八十四年に、シェークスピアを論じたる文あり。

「客月」とは、先月という意味です。

其の本文はシェークスピアとプラトーの哲学との間に、密接の関係ある事を詳論したるものなり、其の論、奇怪に過ぎて、疑はしきくだり極めて多し。何となればシェークスピアにプラトーの哲理見えたりとばかりならば、先人も已にいへる所なれば、深く怪むに足らざれども、此の未詳氏は、やがて此の事より推論して、シェークスピアをプラトニック、フイロソファルなりと論定せんと試みたればなり。此の著は、盖し、かのベーコン論者の錚々[ソウソウ]たるものなるべし、其の姓名を署せざる理由は、われいまだ解する能はず。

ちなみに、シェークスピア同一人物・別人説は、古くからありまして、最初の別人説はイギリスのシェークスピア研究者であるジェームズ・ウィルモット(1726–1807)による「シェークスピア(1564-1616)と同時代の哲学者であるフランシス・ベーコン(1561-1626)が真作者である」という説です。ほかにも、支持者が多いのが、第17代オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアー(1550-1604)説、そしてクリストファー・マーロウ(1564-1593)説でして、それぞれベーコン派(Baconians)、オックスフォード派(Oxfordians)、マーロウ派(Marlovians)と呼ばれています。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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