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#947 腐敗せる社会全体に向かって用いる爆裂弾

それでは今日も坪内逍遥の「入道常見が軍評議」を読んでいきたいと思います。

攻めらるゝものも、攻むる敵も、潔きこと玲瓏[レイロウ]たる雪も如かじ。されば、其の闘ふや、力めて卑怯なる軍配を避けて、正々堂々、古聖賢の遺教に則り、正兵を主とすべきや、言を俟たず。

「玲瓏」とは、玉などが透き通るように美しいさまを言います。

しかるに、本日に於ける折衷殿の馳引は、いとも目ざましく見まゐらせて候へども、味方がかねての誓約に背き、多少飛道具類似のものを用ひられき、と見つるは僻目[ヒガメ]か。入道が第二陣は、兵法に迂なりとし誹られんずらんが、ひたもの正面より敵に當たりて、わが小羊子の平素[ヒゴロ]の主義に、つゆ違はじとこそ存じ候へ、と憚る色なく申しける。折衷之助、膝立て直し、異[ケ]しかる御坊が申條かな、敵権變をもて攻来んときに、われ奇兵を放ちて、これに當たらんこと、天が下の兵法の許す所ならずや。敵衆くして我れ募[ツノ]からんか、之れを易に避け、之れを阨[ヤク]に邀[ムカ]へ、一をもて十を撃ち、十をもて百を撃たんに、何の不可か候ふべき。これをしも智といはまくのみ。御坊の迂もまた甚だし、と色を作して見えければ、年甲斐きなき入道常見、怺[コラ]へずして膝押しむけ、再びいはんとする體を、小羊子早くも見てとり、双方を押しなだめ、二子のいふ所、おの/\理[コトワリ]あり、われは、折衷之助が用ひつる飛道具は、我が、先に城南評論城主に向かひて用ひつる投矢とおなじく、矢は悉く鏃[ヤジリ]をぬき去り、砲はおしなべて弾丸をこめざりしを知るが故に、今し常見がいへるやうに、卑怯の振舞とも思はねば、誓に背けりとも思はざれど、精極め、厳極めたる、堂々の陣に向かひて、割合に飛道具の多きに過ぎしは、入道と共に悦ぶ能はず。けふの事は、強ちに咎むまじ、以後、若し鏃をもぬかず、弾丸をもこめて、かゝる飛道具を用ふることあらば、必ず先づ敵者の品格を見て後にせよ。われ思ふに、無法無慚の剛敵にして、到底尋常の手段をもてして、破る能はざるものか、若しくは取るにも足らざる小敵に対しては、爆裂弾も、弩[イシユミ]も、地雷火も、弓鐵砲も、これを用ふること、或は可ならん、例へば、ジユヱナル、ラベレー、モリエール、スヰフト等が、腐敗せる社會全體に向かひて用ひたるが如きは、是れなり。

「ジユヱナル」は、古代ローマ時代の諷刺詩人デキムス・ユニウス・ユウェナリス(60-128)のことです。権力者から無償で与えられる食料と娯楽によってローマ市民が政治に無関心になっていることを「パンとサーカス」と表現しました。
「ラベレー」は、フランス・ルネサンスの作家フランソワ・ラブレー(1483?-1553)のことです。騎士道物語のパロディー『ガルガンチュワ物語』と『パンタグリュエル物語』では、古典の膨大な知識を散りばめ、ソルボンヌや教会など既成の権威を諷刺します。そのため両書は1543年に禁書目録に掲載されてしまいます。
「モリエール」は、フランス・ブルボン朝時代の劇作家ジャン=バティスト・ポクラン(1622-1673)のことで、彼はペンネームで「モリエール」という名を用いていました。鋭い諷刺を効かせた数多くの優れた喜劇を制作し、特に1665年の『ドン・ジュアン』や1673年の『病は気から』など、最初期から最晩年まで、古代の賢人たちの教えをひたすら守ろうとする守旧派の医者への批判、諷刺をおこないました。
「スヰフト」は、イングランド系アイルランド人の諷刺作家ジョナサン・スウィフト(1667-1745)のことです。1726年出版の代表作『ガリヴァー旅行記』は、未知なる不思議な国への旅を通じて、イングランド国教会とカトリック教徒の争い、イギリスの貴族性、科学における啓蒙主義運動などを諷刺しました。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!


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