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#873 理想主義を叙情詩の門の専有に帰し、実際主義を叙事詩の門の専有に帰す

それでは今日も森鷗外の「逍遙子の諸評語」を読んでいきたいと思います。

われおもふに所謂理想主義を叙情詩の門の專有に歸し、所謂實際主義を叙事詩の門の專有に歸する如きは恐らくは妥[オダヤカ]ならざる論ならむ。理想主義の類想を宗とする弊、實際主義の個想を宗とする利、いづれも叙情詩、叙事詩、戲曲の三門を通じて見るべきものなり。おもなる事を少し擧げて、詩の映象躍如たる理想主義の利と、瑣事[サジ]を數ふること多くして聽者を倦[ウ]ましむる實際主義の弊とも亦然なり。(下卷七一八面)逍遙子がホオマア、シエクスピイヤ、ギヨオテの三家を世相派の實際主義を秉とるものに列せしは、ゴツトシヤルがおなじ三家にジヤン・ポオルを加へて實を役する理想主義、即ち眞の實際主義を秉るものとせしと、殆符節を合する如し。(詩學上卷一〇二面)若實際主義にして叙事詩の門の專有に歸すべきものならば、此群に入りたるギヨオテは、ここに洩[モ]れたるシルレルなどより立超えたる叙情詩の大家たらむ樣なかるべきをや。(姑[シバラ]くフイツシエルに據る、審美學三の卷一三五二面)

「シルレル」は、ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー(1759-1805)のことでドイツの詩人・劇作家・思想家で、ゲーテと並ぶドイツ古典主義の代表者です。作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)の交響曲第九番、通称「第九」の第4楽章は独唱および合唱を伴って演奏されますが、歌詞には、このシラーの詩『歓喜に寄す』が用いられ、『歓喜の歌』として親しまれています。シラーは、スペインのアストゥリアス公カルロス(1545-1568)を主人公として、歴史的題材を舞台とした『ドン・カルロス』を1783年から1787年にかけて執筆し、1787年にハンブルクで初演されますが、鷗外はシラーが『ドン・カルロス』を執筆していたドレスデン郊外の家を、1885(明治18)年の冬に訪ねていますし、さらに、鷗外はシラーの処女作『群盗』(1781)を1885(明治18)年11月にドレスデンで観劇しています。

「ギヨオテ」は、ゲーテ(1749-1832)のことで、鷗外は1913(大正2)年に『ギヨオテ伝』を出版しています。鷗外にとって、ゲーテとシラーは、文芸・文化を思考する際のひとつの指標だったようです。

「ジヤン・ポオル」は、ドイツの小説家ヨーハン・パウル・フリードリヒ・リヒター(1763-1825)のことです。ゲーテやシラーの時代に、古典主義とロマン主義の間の特異な地位を占め、『巨人』(1800-1803)や文学論『美学入門』(1804)など、のちに出版される全集が65巻にも成る極めて多くの作品を出版しました。自ら「ロマン的ユーモア」と名づける文学理念を確立し、後進的なドイツの現実を、超越的な理想や夢に対比させつつ表現し、のちのリアリズム作家へ大きな影響を与えました。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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