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#1530 その三十一は、いよいよ五重塔が完成するときの様子から……

それでは今日も幸田露伴の『五重塔』を読んでいきたいと思います。

今日から「その三十一」に入ります!それでは早速読んでいきましょう!

其三十一

時は一月の末[スエ]つ方[カタ]、のつそり十兵衞が辛苦経営むなしからで、感応寺生雲塔いよ/\物の見事に出来上り、段々足場を取り除けば次第々々に露[アラワ]るゝ一階一階また一階、五重巍然[ギゼン]と聳[ソビ]えしさま、金剛力士が魔軍を睥睨[ニラ]んで十六丈の姿を現[ゲン]じ坤軸[コンジク]動[ユル]がす足ぶみして巌上[イワオ]に突立ちたるごとく、天晴立派に建つたる哉[カナ]、

坤軸とは、大地の中心を貫く軸のことです。

あら快[ココロ]よき細工振りかな、希有[ケウ]ぢや未曾有ぢや再[マタ]あるまじと爲右衞門より門番までも、初手のつそりを軽[カロ]しめたる事は忘れて讚歎すれば、圓道はじめ一山[イッサン]の僧徒も躍りあがつて歓喜[ヨロコ]び、これでこそ感応寺の五重塔なれ、あら嬉しや、我等が頼む師は当世に肩を比すべき人も無く、八宗九宗[ハッシュウクシュウ]の碩徳達[セキトクタチ]虎豹鶴鷺[コヘイカクロ]と勝[ス]ぐれたまへる中にも絶類抜群にて、譬へば獅子王孔雀王、我等が頼む此[コノ]寺の塔も絶類抜群にて、奈良や京都はいざ知らず上野浅草芝山内[シバサンナイ]、江戸にて此[コノ]塔これに勝るものなし、

ここでいう八宗とは、おそらく平安時代までに日本に伝わった仏教の八つの宗旨を指しており、倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・天台宗・真言宗の八つを指します。九宗となると、ここに浄土宗または禅宗を加えます。

虎豹鶴鷺とは、虎と豹は勇猛で、鶴と鷺は優美であることから、それぞれに優れた存在であるという意味です。

「上野・浅草・芝山内」は、「寛永寺・浅草寺・増上寺」のことです。

殊更[コトサラ]塵土[ジンド]に埋もれて光も放たず終るべかりし男を拾ひあげられて、心の宝珠[タマ]の輝きを世に発出[イダ]されし師の美徳、困苦に撓[タユ]まず知己に酬[ムク]いて遂に仕遂げし十兵衞が頼もしさ、おもしろくまた美[ウル]はしき奇因縁なり妙因縁なり、天の成せしか人の成せし歟[カ]将又[ハタマタ]諸天善神[ショテンゼンジン]の蔭にて操[アヤツ]り玉ひし歟[カ]、屋[オク]を造るに巧妙[タクミ]なりし達膩伽尊者[タニカソンジャ]の噂はあれど世尊在世[セソンザイセ]の御時[オントキ]にも如是[カク]快き事ありしを未だきかねば漢土[カラ]にもきかず、いで落成の式あらば我[ワレ]偈[ゲ]を作らむ文[ブン]を作らむ、我[ワレ]歌をよみ詩を作[ナ]して頌[ショウ]せむ讚[サン]せむ詠[エイ]ぜむ記[キ]せむと、各々互に語り合ひしは慾のみならぬ人間[ヒト]の情[ジョウ]の、やさしくもまた殊勝なるに引替へて、測り難きは天の心、圓道爲右衞門二人が計らひとしていと盛んなる落成式執行[シュウギョウ]の日も略[ホボ]定まり、其日[ソノヒ]は貴賤男女の見物をゆるし貧者に剰[アマ]れる金を施し、十兵衞其他[ソノタ]を犒[ネギ]らひ賞する一方には、また伎楽[ギガク]を奏して世に珍しき塔供養あるべき筈に支度とり/″\なりし最中[サイチュウ]、夜半の鐘の音[ネ]の曇つて平日[ツネ]には似つかず耳にきたなく聞えしがそも/\、漸々[ゼンゼン]あやしき風吹き出[イダ]して、眠れる児童[コドモ]も我知らず夜具踏み脱ぐほど時候生暖[ナマアタタ]かくなるにつれ、雨戸のがたつく響き烈しくなりまさり、闇に揉まるゝ松柏[ショウハク]の梢[コズエ]に天魔の号[サケ]びものすごくも、人の心の平和を奪へ平和を奪へ、浮世の栄華に誇れる奴等の胆[キモ]を破れや睡りを攪[ミダ]せや、愚物の胸に血の濤[ナミ]打たせよ、偽物[ギブツ]の面[オモテ]の紅き色奪[ト]れ、斧持てる者斧を揮[フル]へ、矛もてるもの矛を揮へ、汝等[ナンジラ]が鋭[ト]き剣[ツルギ]は餓えたり汝等[ナンジラ]剣に食[ショク]をあたへよ、人の膏血[アブラ]はよき食なり汝等[ナンジラ]剣に飽[アク]まで喰はせよ、飽[アク]まで人の膏膩[アブラ]を餌[カ]へと、号令きびしく発するや否[イナ]、猛風一陣どつと起つて、斧をもつ夜叉[ヤシャ]矛もてる夜叉餓えたる剣もてる夜叉、皆一斉に暴れ出[イダ]しぬ。

というところで、「その三十一」が終了します。

さっそく「その三十二」を読んでいきたいと思うのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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