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#1381 想像は虚空を翔ける鳥の道の如し

それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。

しんじあという人は、明けても暮れても祈禱と説教にただ一筋に働く男です。恋を知らずば神を知らじ、神を知らずば恋を知らざらん。恋のはじめは神と人とに起こり、小さく説けば親と子の間に起こる。この心を長じて、男女を、国家を、天下を、後世を恋うまでも伸ばす者です。キリストも釈迦も真に恋しり、情けしりである。その流れを汲みながら心得ぬしんじあの恋しらず、るびなを恋う心なければ天下の女を、男を恋う心どこから湧き来るだろう。夫とは女の恋の焦点に当たる男、妻とは男の恋の焦点に当たる女、この焦点と焦点の一直線内にあることがまことの美しき配偶であろう。るびなとしんじあは、よき配偶であろうが、心得ぬしんじあの恋しらず、直線の外に出て、あらおぞまし。恋は鋭き鷹のごとし。よく放てば、君子を、道を、徳を得るが、空しく放てば、欲を追い、邪を追い、悪魔の手に帰す。鷹を放った人は、そのあとを付いて、高原を、幽谷を走り、険路の草の露と化して悪魔の生贄となること、心したまえ。しんじあは、ちぇりいからるびなの有様を聞き、煩悩に身を焼くばかり、清き心の白糸も恋に染まりて情けにもつれ、真紅に沈む憂きなげき。迷いの闇の道黒く、結ばれて解けにくい物思いだが、甘味ばかりでは料理はならず、直線のみでは絵はかけない。しんじあは暖炉の前のひじ掛け椅子に座り、眠るが如く首をうなだれ、るびなとかすかに呼んだまま、ふと振り上げて……「るびな、るびな、やはり鳩ばかり可愛がっているだろうか。余計な事だが何しろ鳩はよい……やさしき鳩、閑なる鳩、自分ながら訳がわからない。鳩まで可愛くなってきた。しかし鳩を愛する親切なるびなに愛される人間だもの、その親切の火にとかされて感化されて鳩好きになるのも当然かも知れない。このごろ、るびなが好きなものは皆好きになってきたが、自分ながら不思議だ。鳥や花にむかって一種の妙味のおもしろみを感ずるのも不思議だ。恋慕の眼鏡をかけると銀の腕輪は白金に、涙は真珠に、その人は天使にみえると詩人がいうが虚言ではない。いつぞやふたりで薔薇園を歩いたとき、るびなが『るびなの園の中に薔薇を育てているのではなく、薔薇のつゆの中にるびなが住んでいるのです』と言うので、『それならあなたを露中の女王としましょう』と言うと『女王の位を与える者は王でなければなりません』と答える。

……どうしてあゝ機敏だらう……露[ツユ]の中に住んで居る……妙だ實[ジツ]に無量の味[アジワイ]がある言葉だ……るびな……鳩……花……露、あゝ此[コノ]平和のさあきュいッと(園)の中に住[スマ]ひたいものだ……露……併し風には脆[モロ]い者……花……併し雨には悩むもの……鳩……併し鷹にはよわき者……るびな……然しぶんせいむには勝てぬもの……あはれにも情[ナサケ]なくもぶんせいむには勝てぬもの……ちッ恨めしき風め、雨め、無慈悲の鷹め、奇怪なぶんせいむめ。自由の天地の合衆国の人民の癖に憎い程強情な頑固の親父め、どうしてくれやう。るびなのあの顔を見ることも出来ないし、あの聲をきくことも出来ないし、黄泉[コウセン]の人を戀[コ]ふよりつらき……世は。
と大息[トイキ]吐[ツ]きて涙ぐみ、再び椅子に埋[ウズ]もれしが、想像は虚空を翔ける鳥の道の如しと智慧ある人のいひしはまことや、行方[ユクカタ]も定まらず、越し方[カタ]も跡なく、たてにも横にも限りなく怪しく続けるものなりけり。

ということで、ちょっと短いですが、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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