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#1424 神様も恋知らずなら有難くなし

それでは今日も幸田露伴の『風流佛』を読んでいきたいと思います。

珠運は仏師の匠の足跡をたずねる旅で、帰りの旅中、須原の宿で美しい女性に出会います。その名は「お辰」、京都で産まれ、母は芸子の室香、父は鳥羽伏見の戦いに出兵したあと帰ってこない境遇で育ったことを、宿屋のおやじに教えてもらいます。おやじの話はつづきます……

それにつれなきは方様[カタサマ]の其後[ソノノチ]何の便[タヨリ]もなく、手紙出そうにも当所[アテドコロ]分らず、まさかに親子笈[オイ]づるかけて順礼にも出られねば逢う事は夢に計[バカ]り、覚めて考うれば口をきかれなかったはもしや流丸[ソレダマ]にでも中[アタ]られて亡くなられたか、茶絶[チャダチ]塩絶[シオダチ]きっとして祈るを御存知ない筈も無かろうに、神様も恋しらずならあり難くなしと愚痴と一所[イッショ]にこぼるゝ涙流れて止[トドマ]らぬ月日をいつも/\憂いに明[アカ]し恨[ウラミ]に暮らして我齢[ワガトシ]の寄るは知[シラ]ねども、早い者お辰はちょろ/\歩行[アルキ]、折ふしは里親と共に来てまわらぬ舌に菓子ねだる口元、いとしや方様に生き写しと抱き寄せて放し難く、遂に三歳[ミッツ]の秋より引き取って膝下[ヒザモト]に育[ソダツ]れば、少しは紛[マギ]れて貧家に温[ヌク]き太陽[ヒ]のあたる如く淋[サビ]しき中にも貴き笑[ワライ]の唇に動きしが、さりとては此子[コノコ]の愛らしきを見様[ミヨウ]とも仕玉[シタマ]わざるか帰家[カエラ]れざるつれなさ、子供心にも親は恋しければこそ、父様[トトサマ]御帰りになった時は斯[コウ]して為[ス]る者ぞと教えし御辞誼[オジギ]の仕様[シヨウ]能[ヨ]く覚えて、起居動作[タチイフルマイ]のしとやかさ、能[ヨ]く仕付[シツケ]たと誉[ホメ]らるゝ日を待[マチ]て居るに、何処[ドコ]の竜宮へ行かれて乙姫の傍にでも居[オ]らるゝ事ぞと、少しは邪推の悋気[リンキ]萌[キザ]すも我を忘れられしより子を忘れられし所には起る事、正しき女にも切なき情なるに、天道怪しくも是[コレ]を恵まず。

「笈」とは、修験者などが仏具・衣服・食器などを収めて背に負う箱のことで、「笈づる」とは、笈を背負って背中がすれるのを防ぐために着るひとえの袖なし羽織のことです。

「茶断ち塩断ち」とは、願掛けのために、茶や塩を取らないことです。

「悋気萌す」とは、やきもちの心が起こるという意味です。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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