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#1419 第一回は、旅中の須原で一泊するところから……

それでは今日も幸田露伴の『風流佛』を読んでいきたいと思います。

いよいよ今日から本文に入ります。珠運が匠の足跡をたずねる旅にでて、往路は東海道で東京まで行き、復路は中山道で奈良まで向かっている途中、長野の須原の宿に着いたところです。

第一 如是相[ニョゼソウ]
書けぬ所が美しさの第一義諦[ダイイチギタイ]

今回の『風流佛』は、「十如是[ジュウニョゼ]」が各章のタイトルとなっています。「十如是」とは、天台宗の法華経方便品[ホウベンボン]で説かれた万物構造の因果律を10種であらわしたもので、現象と本体とが互いに一体化して区別なく、仮のものと真実とがとけあって一つになっていることを説いたものです。方便品の一節は以下のように書かれています。

仏所成就。第一希有。難解之法。唯仏与仏。乃能究尽。諸法実相。所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。

仏の成就せる所は、第一の希有なる難解の法にして、唯、仏と仏とのみ、すなわち能く諸法の実相を究め尽くせばなり。謂うところは、諸法のかくのごとき相と、かくのごとき性と、かくのごとき体と、かくのごとき力と、かくのごとき作と、かくのごとき因と、かくのごとき縁と、かくのごとき果と、かくのごとき報と、かくのごとき本末究竟等となり。

それでは早速、本文へとまいりましょう!

名物に甘[ウマ]き物ありて、空腹[スキハラ]に須原[スハラ]のとろゝ汁殊の外[ホカ]妙なるに飯[メシ]幾杯か滑り込ませたる身体[カラダ]を此尽[コノママ]寝さするも毒とは思えど為[ス]る事なく、道中日記注[ツ]け終[シマ]いて、のつそつしながら煤[スス]びたる行燈[アンドン]の横手の楽落[ラクガキ]を読よめば山梨県士族山本勘介大江山退治の際一泊と禿筆[チビフデ]の跡[アト]、さては英雄殿もひとり旅の退屈に閉口しての御[オン]わざくれ、おかしき計[バカ]りかあわれに覚えて初対面から膝をくずして語る炬燵[コタツ]に相宿[アイヤド]の友もなき珠運、微[カスカ]なる埋火[ウズミビ]に脚を烘[アブ]り、つくねんとして櫓[ヤグラ]の上に首投[ナゲ]かけ、うつら/\となる所へ此方[コナタ]をさして来る足音、しとやかなるは踵[カカト]に亀裂[ヒビ]きらせしさき程の下女にあらず。御免なされと襖越しのやさしき声に胸ときめき、為[シ]かけた欠伸[アクビ]を半分噛みて何とも知れぬ返辞をすれば、唐紙[カラカミ]する/\と開き丁寧に辞義して、冬の日の木曾路嘸[サゾ]や御疲[オツカレ]に御座りましょうが御覧下され是[コレ]は当所の名誉花漬[ハナヅケ]今年の夏のあつさをも越して今降る雪の真最中[マッサイチュウ]、色もあせずに居[オ]りまする梅桃桜のあだくらべ、御意に入りましたら蔭膳[カゲゼン]を信濃へ向けて人知らぬ寒さを知られし都の御方[オカタ]へ御土産[オミヤゲ]にと心憎き愛嬌言葉商買の艶[ツヤ]とてなまめかしく売物に香[カ]を添ゆる口のきゝぶりに利発あらわれ、世馴[ヨナ]れて渋らず、さりとて軽佻[カルハズミ]にもなきとりなし、持ち来[キタ]りし包[ツツミ]静[シズカ]にひらきて二箱三箱差し出[イダ]す手つきしおらしさに、花は余所[ヨソ]になりてうつゝなく覗[ノゾ]き込む此方[コナタ]の眼を避けて背向くる顔、折から透間[スキマ]洩[モ]る風に燈火[トモシビ]動き明らかには見えざるにさえ隠れ難き美しさ。我折[ガオ]れ深山[ミヤマ]に是[コレ]は何物。

「我折れ」とは、すっかり参って恐れ入ることです。

というところで、「第一」が終了します。

さっそく「第二」を読んでいきたいのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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