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#825 怨霊の繰り言、はじめて聞いたが、すごいぞ!すごいぞ!

それでは今日も坪内逍遥の『梓神子』を読んでいきたいと思います。

いよいよ巫女による怨霊の口寄せが始まります!「天清浄、地清浄、内外清浄、六根清浄……」唱えているうちに、声音ふるえて、唇は白くなっていきます。そして、巫女は語り始めます。乗り移った霊は、なんと近年の作家の態度を嘲りはじめます。わたしの着想を嘲っても技を貶めることはできず、わたしの腕に服し、釜のうちの雑魚となっていると言います。昔、わたしを誹る者も、今やわたしのために美を鳴らしている。明治の小説に勧善懲悪の主旨を注げよと言うものは、一度差し招けば、わたしの旗下となる。天正元和に遡り時代小説を描こうとする者も、わたしの作を参考にして財を求めようとする。新体の歌を興そうとする者も、その材を古い時代の七五調に因み、これもわたしを参考にしている。ところが、おまえは、わたしの理想を低いと誹り、わたしの観念を卑しと罵る。儒学に偏しているから低いというなら、おまえらは何を得ているのか。素早い世の中だから、老荘の門を汽車で走り抜け、儒仏の教えを生噛りし、古今東西の哲学を名目ばかり諳んじて、赤子をあやすように、高い高いと言うのか。わたしを踏み台にして、おのれの身長を高く見せ、名を売ろうという魂胆ならば、奈良の大仏をなぜ踏まぬのか。真理だの、目的だの、運命だの、審美だの、名目比べなんか聞きたくない!

汝増長の其昔し、一も二もなく我れを罵りて、勧懲の摸型[イガタ]に局[キョク]したりといひなし、八犬士を例證[レイショウ]にして非理窟[ヒリクツ]をならべしが、取るに足らざれば今までいはざりき。是我作[ワガサク]の差別[シャベツ]に目をつけ、我作の平等を知らぬ痴愚[タワケ]なり。腕一本切り取りても、羅生門の鬼は死なず。

源頼光(948-1021)の屋敷で酒宴を開いていると、藤原保昌(958-1036)が羅生門の鬼を話題に上げますが、頼光は鬼の出現を否定します。頼光は家来の渡辺綱[ワタナベノツナ](953-1024)に命じて羅生門に行かせると、鬼が現れます!綱は格闘のすえ、鬼の片腕を斬り落とします。鬼は「時節を待ちてまた取るべし」と言って空に消えてしまいます。

首となりても眉間尺[ミケンジャク]は、巴[トモエ]と旋[メグ]りて嚙[カミ]つきし例[タメシ]あり、汝自惚[ウヌボレ]のへろへろ矢に、我胴中[ドウナカ]を射たりといへども、我[ワレ]を殺す弓勢[ユンゼイ]なければ、因果は覿面[テキメン]生殺しのけふの苛責[カシャク]覚えたか、感[キイ]たか、と生若[ナマワカ]い代脈[タイミャク]がエレキをかけに来たやうな怨霊のくりこと。はじめて聞いたがすごいぞ/\。

「すごいぞ、すごいぞ」なんて、現代の我々が読むと「子供っぽい」表現に感じてしまいますが、当時の人々はどういう印象を抱いたんでしょうね!

「眉間尺」とは、『捜神記』に登場する男のことで、本名は「赤」です。体が大柄で、眉間が一尺(約30センチ)ほどあったことから「眉間尺」と呼ばれました。両親は刀鍛冶で、楚王から剣を作るよう命じられましたが、製作に3年の月日を要してしまいます。処刑されることを察した父は、処刑される前に、一対の剣の片方を、家の南の松の生える石の背面に隠します。成人した眉間尺は母から父のことを聞き、楚王への復讐を誓います。復讐の機会を探っていた眉間尺は通りかかった旅人に身上を話すと、旅人は「復讐の手伝いをする代わりに、お前の首をはねて欲しい」と言います。旅人は、自害した眉間尺の首と、剣を持って、楚王に献上します。旅人は「念のため、首を大釜で煮たほうがいい」と提案します。首を三日三晩煮込みますが、眉間尺の首は溶けるどころか、鬼の形相で睨み付けます!不思議に思い、楚王は釜を覗き込みます。このチャンスを待っていた旅人は、油断した楚王の首を切り落とします。目的を果たした旅人は、楚王の首を釜に放り込んだ後、自身の首を切り落とします。その首は釜に落ち、三人の首は、釜の中でドロドロに溶けます。

この話、眉間尺の首が釜から飛び出し、楚王の首を嚙みちぎったという説もあります。

「エレキ」に関しては、#499で少しだけ紹介しています。

というところで、「第二回」が終わります!

さっそく、「第三回」へと移りたいのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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