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#953 自家を解脱し、自然に超越し、複雑と具象とを棄てて、単純と抽象とを取る

それでは今日も坪内逍遥の「没理想の由来」を読んでいきたいと思います。

大なる技術は、無意識にして成るといふを實事とせば、彼れが作もまた甚深不可思議なる夢想の化現にして、その来たるや幻のごとく、その去るやまた幻の如く、作家みづからも亦これを識らざりしか。あるひはまた、彼れは明かに造化の秘密を窺ひ、人間の極相を看、そを啻総合的に默會せりしのみならず、分析的にもまた領解[リョウゲ]してありしか。あるひはまた、彼れが冥識せしは所謂當代一般の理想にして、自家を解脱し、自然に超越し、複雑と具象とを棄てゝ、単純と抽象とを取るといふ、隠微幽妙のものなりしか。しからばテーンがいへる如くカラクトルといふ言葉を以てするの外には、殆ど名状する能はざるものか。そも/\また彼れが奉じたりし哲理は、ミルトンの如く高く、シルレルの如く明かに、ギョオテの如く大なりしか。平生、造化と人間とに対して、何等の高尚なる概念も無からんものが、筆を操るに及びては、俄に太子ハムレットの如き、一種幽玄なる思索家をも描寫することを得るか。若し假にハムレットをもて、シェークスピアが平生を化現したるものなりとせば、彼れは如何にして、同じく圓満に、同じく純真に、フォールスタッフの如き性質をも現ずることを得たるぞ。人間を蛇蝎視するタイモンの述懐を、假に作者の感慨とせんか、浮世を一夢と悟り果[ハテ]て、従容として夢に遊ぶ、道士プロスペロは何ものぞ。ある時は世を憂愁の苦界とながめて、悲劇の人物と共に歎くかとすれば、ある時は娑婆ををかしき歓楽郷と見て、喜劇の士女と共にさヾめき笑ふ。喜、怒、哀、楽、愛、悪、欲、おの/\其の皮をさいて、核に至り、仁に及べる、これを彼の大理想詩人が、イルペンセロソーとラレグローとの照対に比ぶるときは、彼れは假対にして、これは眞対、かなたは孤鏡の両面のごとく、こなたは昼夜の異なるが如し。シェークスピアは霄壌の差別を描き得て、其の妙究極する所を知らず。さるにても、シェークスピアは、如何にしてかくは多様なる詩魂を領し、コールリッジ以下、幾多烱眼の批評家をして、千魂の詩人と呼ばしめ、万心の作家とたゝへしむに至りしぞ。かくの如きは、ひとへに端倪すべからざる無意識の結果なるか。そも/\また、平生の見地に因縁する所あるか。一言をもてこれを掩へば、シェークスピアは何物ぞと。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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