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#945 我が言う理想は、智の力に関するものなり

それでは今日も坪内逍遥の「雅俗折衷之助が軍配」を読んでいきたいと思います。

然るに、さはなくて、作家の主観、其の作の全局に見えたり、と断言せんか、ミルトンの作れる人物は、何れも皆ミルトンが理想の所生、若しくは、かれが主観(感情)の化現たるに止まらずして、ミルトンが感情の直現、即ちミルトン其の人なりといはざるを得ざるに至らん。さすれば『サムソンの劇』中にあらはるゝ幾個の人物は、なべて皆ミルトンの直現にして、さしも性癖のくさ/″\なるは何故ぞ。又『失楽園』の叙事詩に就ていはば、アダムもミルトンなれば、イヴもミルトン、サタンも、マイケールも、悉く皆ミルトンかも。O myriad-minded Milton! 又バイロンが劇に就きていはば、マンフレッドも、サルダナバラスも、和尚も、獵夫も、マルラ女も、悉く皆バイロンにして、ドン、ジュアンも、チャイルド、ハロルドも、其の他幾十個の男女[オトコオミナ]悉くバイロンかも。O thousand-souled Byron!
否、誰れかかくの如き、言語道断の妄評を下すものあるべき。わが黨は、断じて作家の主観の(尠くとも上乗の位にある詩歌に於ては)没却せられたるを信ぜざるを得ず。見よ、かのヲオヅヲオスは、主観的詩人といふ名、かねて世に高けれども、ジョン、カムベル、シエールプは、これをあらずとして、かれがスコットに及ばざるまでも、能く人性の隠微を闡[ヒラ]いて、多様に描破したる技をたゝへき。

ジョン・キャンベル・シャープ(1819-1885)はスコットランドの文学者です。1877年、シャープは『自然の詩的解釈』を出版し、科学と詩、ヘブライ語、古典、英語の詩人について論じました。

吾黨はたシエールプのと見解を同うす。さるは何故ぞ。彼の大なる湖上詩人は、わが所謂理想的詩人にはあれども、流石に主観的詩人といふ、狭き境界に立てる者にはあらざるべし、と思へばなり。所詮、わが理想といふ語は、世に謂ふ漠然たる主観といふ語と同じからず。主観は若し之を感情にのみ限るときは、情緒にのみ関する語となれども、わが謂ふ理想は、むしろ智の力に関するものなり、即ち、造化人間に対して、作家が極致と思惟する所の観念なり。かるが故に、抒情詩はいふもさらなり、ドラマをものすらん時に於ても、多少総合の礎[イシヅエ]となるべきものか。此の段われいまだ明らめ得ずといへども、作家が主観(感情)の没却したる場合にも、此の理想ばかりは、歴々としてあらはれたること、ミルトンに於て、バイロンに於て、其の他幾十の作家に於て、わが平生認め得たる所なり。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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