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#783 固有派・折衷派そして人間派

それでは今日も坪内逍遥の『小説三派』を読んでいきたいと思います。

西詩に三派あり、抒情詩と叙事詩とドラマとなり。其中[ソノウチ]ドラマをもていと高しとすれど、抒情詩も叙事詩もまためでたし。案ずるに小説にもそれに似たる派あるべし。前にいへる固有派は更に名づけて主事派若[モシ]くは物語派ともいふべく、其次の折衷派は又の名を性情派若くは人情派とも称すべし。さて別に第三派を置きて之[コレ]を人間派と呼ぶべし。即ち人を因として事を縁とする派なり。

ここで新たに「人間派」が登場しましたね。人間派は「人」を「因」として「事」を「縁」とする、と……

第一派(即ち物語派)は最[イト]広き意義にていふ叙事詩の形にて、第三派(即ち人間派)は最[イト]狭き意義にていふドラマの結構なり。而[シカ]して第二派(即ち人情派)は其[ソノ]事を先とすること甚だしければ叙事詩となり、其人を主とすること重ければドラマの形とならん。常は両派の界に立てり。さて物語派と人間派との別は明かにて、物語派と人情派との相違も已[スデ]にいへり、ひとり人情派と人間派との別はなほおぼろげなれば今少しく次にいはん。

固有派は広い意義でいう「叙事詩」、折衷派は重心の違い、すなわち「事を先とすること」に重きを置けば「叙事詩」となり、「人を主とすること」に重きを置けば「ドラマ」となる。そして、人間派は狭い意義でいう「ドラマ」である、と……

人間派とは、其結構をいへば人の性情を因として事変を縁とするものなり。其事変を縁とするは前に人情派(折衷派)に就きていへるに、同じく有形の事変に縁[ヨ]らざれば人の性を発揮する能はざればなり。これまではほとほと人情派と一つなり。さて其異なる所いへば人情派は或事情に於ける或性情の状態を写せば足れりとし、若[モシ]くは或事変の或性情に於ける影響を写せば足れりとす。故に性情と事変との間に(人と事との間に)主客先後の関係はあれど、(前頃=アンテシデント、後頃=コンシクエントの関係はあれど)必ずしも因果の関係無し。即ち人を物語の主題とはすれども、未だ人をもて事の主因とはせぬなり。されば事の起りて後にこそ人の心は動け、人の心まづ動きて後に事の生ずるにはあらず、此[コノ]理茲[ココ]に尽しがたし。

折衷派と人間派の違いは、折衷派には因果の関係はない、と……

下に「此ぬし」と「教師三昧」とを評するを見て察せよ。我[ワガ]所謂[イワユル]人間派は然らず。先づ人を因とし事を縁として一果を写し、此果を(若くは他の事変をも合せて)縁として更にまた一果を画き、終[ツイ]に大詰の大破裂若[モシ]くは大圓満に至りて休[ヤ]む。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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