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#1430 貧には運も七分凍りて、三分の未練を命に生きるか……

それでは今日も幸田露伴の『風流佛』を読んでいきたいと思います。

股引、頭巾、二重とんび、鹿の皮の袴、足袋二枚、毛皮の手甲などでしっかりと防寒しますが外は大吹雪。鼻の穴まで吹き込む吹雪。命おしくば御逗留なされの親切。急ぐ旅にもあらず。今日だけ厄介になりましょう。こたつに座り、ぼんやりと見回すと、そこには柘植のさし櫛が……。お辰が落としていったのか……。ゆうべの亭主の物語が今更のように思い出されます。おれが仏なら……七蔵を頓死させて行方知れぬ親に会わせ、宮内省から褒章を与え、小説家には面白く書かせ、絵師には美しく描かせ、豪華な衣服に変え、極上の油を髪につけさせるのに……。珠運は小刀を取り出し、櫛に一日がかりで彫り付け、紙に包んで、お辰が来たらどんな顔をするだろうと待ちます。

されば流れざるに水の溜[タマ]る如く、逢わざるに思[オモイ]は積りて愈[イヨイヨ]なつかしく、我は薄暗き部屋の中[ウチ]、煤[スス]びたれども天井の下、赤くはなりてもまだ破[ヤ]れぬ畳の上に坐[ザ]し、去歳[コゾ]の春すが漏[モリ]したるか怪しき汚染[シミ]は滝の糸を乱して画襖[エブスマ]の李白[リハク]の頭[カシラ]に濺[ソソ]げど、たて付[ツケ]よければ身の毛立[タツ]程の寒さを透間[スキマ]に喞[カコ]ちもせず、兎も角も安楽にして居るにさえ、うら寂しく自[オノズカラ]悲[カナシミ]を知るに、ふびんや少女[オトメ]の、あばら屋といえば天井も無かるべく、屋根裏は柴[シバ]焼[タ]く煙りに塗られてあやしげに黒く光り、火口[ホクチ]の如き煤は高山[コウザン]の樹[キ]にかゝれる猿尾枷[サルオガセ]のようにさがりたる下に、あのしなやかなる黒髪引詰[ヒキツメ]に結うて、腸[ハラワタ]見えたるぼろ畳の上に、香露[コウロ]凝[コ]る半[ナカバ]に璧[タマ]尚[ナオ]輭[ヤワラカ]な細軟[キャシャ]な身体[カラダ]を厭[イト]いもせず、なよやかにおとなしく坐[スワ]りて居る事か、人情なしの七蔵め、多分[オオカタ]小鼻怒らし大胡坐[オオアグラ]かきて炉の傍[ハタ]に、アヽ、憎さげの顔見ゆる様な、藍格子[アイゴウシ]の大どてら着て、充分酒にも暖[アタタマ]りながら分[ブン]を知らねばまだ足らず、炉の隅[スミ]に転げて居る白鳥徳利[ハクチョウドクリ]の寐姿忌々[イマイマ]しそうに睨[ネ]めたる眼をジロリと注ぎ、裁縫[シゴト]に急がしき手を止[トメ]さして無理な吩附[イイツケ]、跡引き上戸の言葉は針、とが/\しきに胸を痛めて答うるお辰は薄着の寒さに慄[フル]う歟[カ]唇[クチビル]、それに用捨[ヨウシャ]もあらき風、邪見に吹くを何防ぐべき骨露[アラワ]れし壁一重[ヒトエ]、たるみの出来たる筵[ムシロ]屏風、あるに甲斐なく世を経[フ]れば貧には運も七分[シチブ]凍[コオ]りて三分[サンブ]の未練を命に生[イキ]るか、噫[アア]と計[バカ]りに夢現[ユメウツツ]分[ワカ]たず珠運は歎[タン]ずる時、雨戸に雪の音さら/\として、火は消[キエ]ざる炬燵に足の先冷[ツメタ]かりき。

猿尾枷は、樹皮に付着して懸垂する糸状の地衣で、ブナ林など落葉広葉樹林の霧のかかるような森林の樹上に着生します。

白鳥徳利とは、白磁の、口の細長いとっくりのことです。

というところで、「第四回」が終了します。

さっそく「第五回」を読んでいきたいと思うのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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