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#959 IndividualityとGeneralityを兼ね備える小説

それでは今日も坪内逍遥の「没理想の由来」を読んでいきたいと思います。

さて此の没理想の點より見て、われは近松とシェークスピアとをひとしなみに見倣しゝが、尚近松の没理想のシェークスピアのよりも狭からんと疑へる由のありしかば、彼れを小とし、此れを大とせり。されば、大小の別は必ずしも技倆上の沙汰ならず、さり乍ら、シェークスピアが傑作の面相(客観的)が偏に没理想たるに止まらば、或は鷗外君の非難ありし如く、叙事詩は更也、没挿評の小説、尋常の戯曲[ドラマ]、テール、俚諺など云ふ者も時としては没理想と見えて、これらの諸作と、シェークスピアの傑作との異同は、形の上の異同となるか、然らざれば、ふと見たるところ異同なきものとならん。我れはたその考ありければ、没理想は美術上の技倆をいふにあらず、と緒言の中に断り、後に鷗外君に答へたる文中にては、活きたる差別相といふ名目を設けき。これはシェークスピアの没理想を、最初何故かと疑ひける頃、作中の人物おの/\作家の性情(Idiosyncracy)を離れて活動すればなるべし、即ちハドソンの所謂Disinterestedness(無私不偏)といふことが、彼れが作の全局を、没理想ならしむる由縁なるべし、と思ひたるを、例の差別即平等、平等即差別の旨に思ひよせていへるなり。

上の原文では、「Idiosyncracy」となっていますが、正しくは「Idiosyncrasy」です。

こは廿三年よりも前かた、ポス子ットが『比較文学論』を讀みしときにも、思ひよれりしことにて、IndividualityとGeneralityとを兼ね具ふるが當世紀の小説、幷に戯曲の傾向なり、といへるに因めり。即ち没理想を他語をもて解せるに外ならず。

『比較文学』(Comparative Literature)という名の書物を出版し、文学研究の新たなフィールドを開拓したパイオニアは、ニュージーランドの文学者ハッチソン・マコーレー・ポスネット(1855頃-1927)です。ポスネットが『比較文学』を出版したのは1886年のことです。「没理想の由来」が書かれたのは1892(明治25)年のことですから、出来立てホヤホヤの新ジャンルですし、それに飛びつく逍遥の嗅覚の鋭さが何よりスゴイですよね!当時の新興思想は、チャールズ・ダーウィン(1809-1882)の自然選択の進化論とハーバート・スペンサー(1820-1903)の適者生存の社会学です。ポズネットの文学における歴史的対比研究も「社会及び一個人の進化とその周囲の自然との関係」に基づいた変化であることの証明を試みる内容となっています。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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