#1345 あぁ……先生は天授なり!
それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。
中国の大都・南京に田亢龍[デンコウリョウ]という男がいます。眉があがり、鼻がたかく、唇の両端ははねあがり、観相見の実例に引き出されそうな顔立ち。独身者で、甕を叩きながら楚辞を呻り、香港から100ドルで買い寄せた弦が調整されてないヴァイオリンを弾いています。ぶんせいむの求婚の事件は、世界の新聞に掲載され、亢龍は独り言をいいます。「このぶんせいむという奴はかなり話せる奴だ。世界中からるびなを娶ろうと俗物どもが集まるだろう。しかし中華の人物と肩を並べることができるものか。るびなを侍妾として掃除をさせてやろうか。それにしてもこの広告の終わりのところが少し変だな……歌の調べがいよいよ高くなると、和する者も少なくなる。我が道は大にして、調べは高いから、受け入れられないかもしれない。天道はたして是か非かだ」。ふと窓の下をみると、人の往来がざわつき、その群がりのなかに、ひとりの老翁がいます。道士の衣、絹の扇子をさし、払子を持っています。尊ばれている無名翁という卜者だとわかると、亢龍は翁を呼び込みます。亢龍は卜者に向かって「亀卜[キボク]は先王のなすところ、占筮[センゼイ]は古聖が用いる法、あなたはどちらも選ばないとみえる。擲銭[テキセン]は猾技であり、梅花[バイカ]は真作ではない」。卜者は答えます。「いにしえより易をいう者、孔子から朱子に至るまで遑あらずして皆おなじではない。みな多少の理ありて多少の効ありというもの。天地の現象を見て天地の気運を知る事、必ずしも亀や筮竹[ゼイチク]によるものではない。平易にいえば、地面にできた霜を踏んで、このさきに厳冬の季節がやってくるのを知るというもの。われは幼くして道を天下に求め、幸いにして泰山に断碣を得ました。山陰に盧を結び、沈思三年、ついに悟りました」。翁は扇を襟から抜き取り、亢龍に扇に書かれたダイヤグラムを示します。「見たまえ。縦に数えても、横に数えても、斜めに数えても三十四である。高霊の神作か、幽冥の鬼工か……
楊雄(前53-18)は前漢末期の文人で、『易経』を模した『太玄経』を著しました。
最後の漢文は「紈袴[ガンコ]の公子[コウシ]齢[ヨワイ]は青春 彼[カ]の關雎[カンショ]を歌いて枉げて苦辛す 銀河に遡りて織女[ショクジョ]を訪ねんと欲せば 須[スベカラ]く風流の閑[カン]篙人[コウジン]を僦[ヤト]うべし」と読むのでしょうか。「紈袴」は中国の貴族の子弟が着る白練りの絹で仕立てた袴のこと、「関雎」は夫婦の道のこと、「篙人」は船を操る人の意味です。
ということで、「第九回」が終了します!
さっそく「第十回」へと移りたいのですが……
それはまた明日、近代でお会いしましょう!
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