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#1443 突然の父との再会!いままで父親は何をしていたのか?

それでは今日も幸田露伴の『風流佛』を読んでいきたいと思います。

今日から「第七回」に入ります。それでは早速読んでいきましょう!

第七 如是報

我は飛来[トビキ]ぬ他化自在天宮[タケジザイテングウ]に

オヽお辰かと抱き付かれたる御方、見れば髯[ヒゲ]うるわしく面[オモテ]清く衣裳立派なる人。ハテ何処[ドコ]にてか会いたる様[ヨウ]なと思いながら身を縮まして恐々[コワゴワ]振り仰ぐ顔に落来[オチク]る其[ソノ]人の涙の熱さ、骨に徹して、アヽ五日前[イツカマエ]一生の晴[ハレ]の化粧と鏡に向うた折会うたる我に少しも違[タガ]わず、扨[サテ]は父様[トトサマ]かと早く悟りてすがる少女[オトメ]の利発さ、是[コレ]にも室香が名残の風情[フゼイ]忍ばれて心強き子爵も、二十年のむかし、御機嫌よろしゅうと言葉後[コトバジリ]力なく送られし時、跡ふりむきて今一言[ヒトコト]交[カワ]したかりしを邪見に唇囓切[カミシメ]て女々しからぬ風[フリ]誰為[タガタメ]にか粧[ヨソオ]い、急がでもよき足わざと早めながら、後[ウシロ]見られぬ眼を恨みし別離[ワカレ]の様[サマ]まで胸に浮[ウカ]びて切なく、娘、ゆるしてくれ、今までそなたに苦労させたは我[ワガ]誤り、もう是からは花も売[ウラ]せぬ、襤褸[ツヅレ]も着[キサ]せぬ、荒き風を其[ソノ]身体[カラダ]にもあてさせぬ、定めしおれの所業[シワザ]をば不審もして居たろうがまあ聞け、手前の母に別れてから二三日の間、実は張り詰めた心も恋には緩[ユル]んで、夜深[ヨフカ]に一人月を詠[ナガ]めては人しらぬ露窄[セマ]き袖にあまる陣頭の淋しさ、又は総軍の鹿島立[カシマダチ]に馬蹄[バテイ]の音高く朝霧を蹴って勇ましく進むにも刀の鐺[コジリ]引かるゝように心たゆたいしが、一封の手簡[テガミ]書く間もなきいそがしき中、次第に去る者の疎[ウト]くなりしも情合[ジョウアイ]の薄いからではなし、軍事の烈しさ江戸に乗り込んで足溜[アシダマ]りもせず、奥州まで直押[ヒタオシ]に推す程の勢[イキオイ]、自然と焔硝[エンショウ]の煙に馴[ナレ]ては白粉[オシロイ]の薫[カオ]り思い出[イダ]さず喇叭[ラッパ]の響に夢を破れば吾妹子[ワギモコ]が寝くたれ髪の婀娜[アダ]めくも眼前[メサキ]にちらつく暇[イトマ]なく、恋も命も共に忘れて敗軍の無念には励[ハゲ]み、凱歌[カチドキ]の鋭気には乗じ、明[アケ]ても暮[クレ]ても肘を擦[サス]り肝[キモ]を焦がし、饑[ウエ]ては敵の肉に食[クラ]い、渇しては敵の血を飲まんとするまで修羅[シュラ]の巷[チマタ]に阿修羅[アシュラ]となって働けば、功名一[ヒ]トつあらわれ二ツあらわれて総督の御覚[オンオボ]えめでたく追々の出世、一方の指揮となれば其[ソノ]任[ニン]愈[イヨイヨ]重く、必死に勤めけるが仕合[シアワセ]に弾丸[タマ]をも受けず皆々凱陣[ガイジン]の暁、其方[ソノホウ]器量学問見所あり、何某[ナニガシ]大使に従って外国に行き何々の制度能々[ヨクヨク]取調べ帰朝せば重く挙用[アゲモチイ]らるべしとの事。

行方不明だった父親が大出世して、とんでもないタイミングで、出会っちゃいましたね。

「鹿島立」とは、「門出」という意味があります。奈良時代、東国から筑紫・壱岐・対馬などの要路の守備に赴いた防人が任地に出発する前に鹿島神宮の阿須波神[アスハノカミ]に道中の無事を祈願したことが語源だとされています。他説に、鹿島神宮の御祭神である武甕槌[タケミカヅチ]と、香取神宮の御祭神経津主[フツヌシ]の2神が天孫瓊瓊杵尊[ニニギノミコト]の降臨に先だって、葦原中津国[アシワラノナカツクニ]を平定したことが語源だとするものもあります。

昔、奈良の平城天皇にお仕えしていた采女[ウネメ]がいました。顔も姿もたいそう美しいため、人々が求婚しますが、采女は会いませんでした。采女は帝のことを限りなく素晴らしい方と思っていたからです。ある時、帝は采女を召します。しかし一度だけで、二度とは召さなかったので、采女は限りなく悲しく思いました。帝は一度は采女を召したものの、別段何とも思いませんでした。采女はこのまま生きているのはいたたまれない気持ちになり、夜ひそかに御所を抜け出し、猿沢の池に身を投げました。采女が身投げしたことを帝は知らなかったが、事のついでに人が帝に申し上げたので、知られることとなりました。帝はたいそうひどく哀れに思い、池のほとりに行幸なさって、人々に歌を詠ませます。その中で柿本人麻呂が、次のように歌います。
「わぎもこが寝くたれ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞ悲しき」
(猿沢の池に浮かぶ水草を見ていると、わが愛しい人が寝乱れた髪を思い出して悲しい)
帝は、次のようにお詠みになります。
「猿沢の池もつらしな我妹子が玉もかづかば水ぞひなまし」
(猿沢の池も酷いなあ。わが愛しい人が池に飛び込んで水草がからんだなら、水を干上がらせてくれればよかったのに)
これが奈良の興福寺の南側にある猿沢池の采女伝説です。池のほとりには天皇が采女の霊を祀ったという采女神社があります。この社は、入水した池を見るのは忍びないだろうと、門をくぐると、なんと社殿が背を向けています。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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