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#805 人間界の底知らずの湖、その名はシェークスピアとゲーテ!

それでは今日も『底知らずの湖』を読んでいきたいと思います。

話の内容は、昨夜に見た怪しい夢に関することのようでして……場所はどこだかわからないが、池のような沼のような湖があります。周囲の距離もはっきりせず、湖のかたちは鶏の卵のようです。あたりの山々には春夏秋冬が一斉に来ており、空には高い峰々、滝の音は雷のようです。ここに霧が立ちこめる洞窟があります。これはどこへ続く道なのか。梅の花は白く、鶴がおり、丸木橋がかかっている。水の底には砂金が敷かれ、夏の木の実がなり、秋の果物が実っています。ここは、極楽の浄土か、天上の楽園か……。金翼の鳥が神々しく歌い、白色の花が神々しく舞っています。なんという怪現象なのか!雨露にさらされている高札を見ると「文界名所底知らずの池」と書かれています。どこからともなく道服を着た翁が来て、そのあとから仏教の僧侶とキリスト教の信者がやってきて三人で松の根に佇み、湖の風景を見て、空前絶後の名所なりと言います。水は智、山は仁、梅は節、松は操、柳は温厚の徳、橋は質素の徳、紅葉は奢るもの久しからずという心なのか…。三人は崖をおりて湖に足を踏み入れますが、深みにはまり、跡形もなくなってしまいます。その後、新たな人物が現れます。古風な帽子をかぶり、弁慶のように七つ道具を背負い、色々な道具を提げています。今歩いているのは自か他かと哲学者のように正しながら美しい湖の岸辺に近づきます。その後、老樹の後ろから新たな人物がやってきます。頭大きく眼差し鋭く紙子羽織を着て羊羹色の和冠をかぶっています。中国の西湖にスイスの山々、地面には奇草が生えています。古風な帽子をかぶった男は丸木橋のほとりまで歩きますが、踏み外して立ちどころに見えなくなります。羊羹色の和冠をかぶった男は驚き、「この水には霊が棲んでいる」と怖がりますが、身を翻しているうちに、この男も森の茂みに隠れてしまいます。その後、崖の上に、今度は高帽子をかぶった紳士が現れます。咲き乱れる花を踏みにじり、空を仰ぎ、湖を見渡します。すると、またがっていた馬が驚き駆け出し、馬と離れた高帽子の紳士は崖の下に転がり落ちてしまいます。その後、やってきたのは八人の翁です。翁のひとりが、この湖は山の神が眼を楽しませ心を爽やかにするために作ったのだと言うと、別のひとりが、世の末になり身を棄てたくなった者がここに来て身を投げるのだ、と言い返します。すると、別の翁が、汝の言っていることも見当違いだと言います。この湖の水は薬水で治療のための賜物だといいます。そうこう議論しているうちに、掴み合い叩き合いになり、崖の下へと転げ落ちてしまいます。この様子を森蔭にたたずんで見ている若い男がいました。造花を飾った美妙なる帽子をかぶって望遠鏡で四方を見渡しています。すると草むらから黄金色の蝶々が舞い、男は蝶々を追いかけて足を踏み外し姿が消えてしまいます。と、ここで、湖の精霊の主が化けて出てきます。精霊は「我」に対して、この湖を見てどう思うかと聞きます。ただありのままに、美しくもあり恐ろしい、来る人々が溺れるのが恐ろしいと答えます。精霊は、お前の国にもこの湖に似ている古池があるだろうと言います。最初は一匹の蛙が飛び込んだが、その後数万人が飛び入ったので、これも底知らずの池なのだろう。

池を作りし者の素志[ソシ]如何[イカン]は問ふ所にあらず。其今日[コンニチ]に於ける光景[アリサマ]に就きて評するなり。中にも此湖の如きは過去現在ともに底を知らざるのみならず。千古[センコ]に渉[ワタ]りて底知らずなるべし。底知らずとは無量無数の異類を容れて餘[アマリ]あるを謂[イウ]なり。是此[コレコノ]湖をもて天下第一の名所とする所以なり。しかれども憐[アワレ]むべし。人間の世界にはいまだ此[コレ]にひとしき名所はあらず。只之に似たる大沼[オオヌマ]は英吉利[イギリス]に一ヶ所独逸[ドイツ]に一ヶ所あり。英吉利なるは道地[ドウチ]の沼(Shake-sphere)といひ独逸なるは驚天[ギョウテン](Geothe)の沼といふ。

なるほど!こう来るんですね!美しくも恐ろしく、すべての思想を飲み込む湖、これが「没理想」の原点!人間の世界の湖の名は2つ!シェークスピアとゲーテである、と!

共に人間の名所なり。汝のやうなる白痴[シレモノ]に斯うやうの事[コト]語らんは無益[ムヤク]しけれど来る人も/\溺らすが恐ろしと考へて迯[ニゲ]いだしつるに頼[タノミ]の脈のあればこそ聞かすなれ。構へて此湖にはまりなせす。溺れずして眿[ナガ]めてこそ名所なれ。命なくして何するぞ。つ〻と立離れて賞翫[ショウカン]せよや。白痴[シレモノ]と鐵丸[テツガン]のやうなる握拳[ニギリコブシ]もて小鬢[コビン]をはたと張りとばされ三間[ケン]ばかり杜[モリ]のかたへ足地[アシチ]を離れて飛ぶよと思へば去歳[コゾ]の夢は醒め果[ハテ]けり。嗚呼[オコ]の限[カギリ]なる夢なりけり。

というところで、『底知らずの湖』は終わります!

夢の話、象徴の解釈というのは非常に古臭い設定ですが、面白かったですね!

さて……次に取り掛かるのは、坪内逍遥「烏有先生に答ふ」の「其の三」の下の箇所です。

曲亭は小説家の随一人なれども、小説家の全体にあらざればなり。われ嘗て『梅花詩集』を評せし時、いさゝか此の点に触れていひけらく…(#705参照)

1891(明治24)年3月、坪内逍遥は、中西梅花(1866-1898)の『新體梅花詩集』(1891)の評論「梅花詩集を読みて」を読売新聞に連載します。上の一文は、そのことを指しているので、次は「梅花詩集を読みて」を読んでいきたいのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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