#1341 これぞ当時に尊まるる卜者なり
それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。
中国の大都・南京に田亢龍[デンコウリョウ]という男がいます。眉があがり、鼻がたかく、唇の両端ははねあがり、観相見の実例に引き出されそうな顔立ち。独身者で、甕を叩きながら楚辞を呻り、香港から100ドルで買い寄せた弦が調整されてないヴァイオリンを弾いています。ぶんせいむの求婚の事件は、世界の新聞に掲載され、亢龍は独り言をいいます。「このぶんせいむという奴はかなり話せる奴だ。世界中からるびなを娶ろうと俗物どもが集まるだろう。しかし中華の人物と肩を並べることができるものか。るびなを侍妾として掃除をさせてやろうか。それにしてもこの広告の終わりのところが少し変だな……歌の調べがいよいよ高くなると、和する者も少なくなる。我が道は大にして、調べは高いから、受け入れられないかもしれない。天道はたして是か非かだ」。ふと窓の下をみると、人の往来がざわつき、その群がりのなかに、ひとりの老翁がいます。
「道袍」とは道士が着る服のこと、「塵尾」とは払子[ホッス]という僧侶が使用しているハタキのような道具のこと、首からかける輪っか状の袈裟のことを「輪袈裟」とか「五條袈裟」といいますが、「輪條」とは露伴の造語でしょうか……
霊験道士のイメージしか湧いてこない……w
摩訶句絺羅は、弁舌を得意とした仏の弟子です。
「亀を灼き」とは、古代中国の殷の時代に盛んに行われていた亀卜[キボク]という占いのことです。亀の甲羅に熱を加えて、生じたヒビの形状を見て占うものです。
蓍とは、易者が占いのときに使う50本の竹ひごのようなものです。
擲銭は、コインを使って卦を立てる易法で、梅花は、道具を用いずに占断する日や周囲の物から数をとって卦を立てる易法です。
康節とは、北宋の儒学者の邵康節[ショウコウセツ](1011-1077)のことです。康節は易経が現在の形にまとめられる以前に、原初的な易があったはずだと考え、以前を「先天易」と名付けのちの「後天易」と区別し、数による神秘的宇宙観を説きました。
ということで、この続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!
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